自然界の圧倒的な存在に魂を奪われた者たち…『人生クライマー』山野井泰史と、世界のクライマーが魅せる“挑戦”の軌跡
2021年に登山界最高の栄誉「ピオレドール生涯功労賞」をアジア人として初めて受賞した、日本が誇る世界的登山家・山野井泰史。そんな彼の輝かしくも壮絶な軌跡と人生に迫る魂のドキュメンタリー『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』が、現在公開中だ。
“単独(フリーソロ)”、“無酸素”、“未踏ルート”。山野井がスゴいのはそんな究極のスタイルで世界の巨壁に挑み続けてきたこと。本作の最大の見どころは、彼が1996年、ヒマラヤ最後の課題と言われる前人未踏の「マカルー西壁」にそのこだわりのスタイルで挑んだ“究極の挑戦”と、彼をも弾き返す巨壁の脅威を記録したここでしか見られない衝撃の映像だ。
さらに、沢木耕太郎の著作「凍」でも描かれた2002年のギャチュン・カン登頂後の壮絶なサバイバルで手足の指10本を失い、2008年には奥多摩山中で熊に鼻をもぎとられるアクシデントに見舞われながら、いまもなお伊豆半島の未踏の岩壁に挑む山野井の驚愕の生き様を、妻の妙子や関係者の証言を絡めて映し出していく。
果たして、標高8000m超の生と死の狭間で彼が見たものは何だったのか?世界の名だたるクライマーたちの命を奪った死の巨壁から山野井だけが生還できたのはなぜなのか?そして、言い知れぬ恐怖を味わい、肉体の一部を失いながらも巨壁に挑み続ける山野井を突き動かすものとは?自身も山に登る岡田准一が初めての“語り”で山に魅せられた男の極限の“生”に寄り添う本作を観れば、その答えが少しは分かるかもしれない。
そんな危険なクライミングスタイルを好んで実践しているクライマーは、もちろん山野井泰史だけではない。そこで、『人生クライマー~』とあわせて観たい作品をいくつかご紹介しよう。
米アカデミー賞受賞!極限の挑戦に迫った傑作
10歳でクライミングを始めたアメリカのアレックス・オノルド(1985~)は、山野井同様、山や絶壁にザイル(ロープ)や安全装置を使わずに手と足だけで登る“フリーソロ”の第一人者で、「ナショナル ジオグラフィック」誌の表紙も飾った世界的に著名なクライマー。2018年に公開された『フリーソロ』は、そんな彼が2017年、それまで誰も“フリーソロ”で登りきった者がいない米カリフォルニア州ヨセミテ国立公園にそびえ立つ世界屈指の巨壁エル・キャピタンに挑む歴史的な瞬間の一部始終をとらえたもの。アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞ほかに輝いた傑作としても知られている。
映画には入念に準備を続けるアレックスと彼を支える恋人や先輩クライマーたちの姿、撮影クルーたちの葛藤も収められているが、見逃せないのは不可能と思われた前人未踏の断崖絶壁を“フリーソロ”で完登するひとりのクライマーをドローンなどを駆使して撮影したラスト20分の荘厳な世界だ。垂直の壁を制覇したアレックスのとびきりの笑顔も印象的で、そこに不可能と思われるものに挑み続ける人間の輝きの秘密が垣間見えたりする。
知られざる究極のクライマーを追うドキュメンタリー
2021年に公開された『アルピニスト』も、“フリーソロ”を貫くカナダの若き天才クライマー、マーク=アンドレ・ルクレール(1992~2018)に密着したドキュメンタリーだ。マークは幼少期にADHD(注意欠如・多動性障害)と診断されながらも、9歳の時にクライミングに目覚め、13歳でカナダ国内の大会で優勝。登頂困難とされていた山をたったひとりで次々に制覇し、25歳にして10の初登頂記録(その多くが命綱なしの“フリーソロ”)を樹立している。
スマホを持たず、自らの成功や記録をSNSで発信することもない彼は世界的にはあまり知られていないが、自分の楽しみのためだけに世界の難攻不落の絶壁や氷壁に挑み続けた彼の思考は山野井泰史のそれに近いかもしれない。
本作でも雄大な自然をバックに、そそり立つ垂直の壁を素手で登っていくマークの華麗なクライミングとその時の充実の笑顔に目が釘づけになる。しかし、彼は多くの偉業を叩き出しながらも、2018年に挑戦したアラスカのメンデンホール・タワーズで消息を絶ってしまった。その非情な現実を重ね合わせて映像の中のマークと対峙すると、前人未踏の地を制覇した者しか味わえない、クライミングの麻薬的な魅力と恐怖をより強く感じるはずだ。