主役級の戦国オールスターがズラリ!信長&濃姫を取り巻く人物たちの史実エピソードがスゴイ
木村拓哉と綾瀬はるか共演で、織田信長と濃姫という戦国一有名かつミステリアスな夫婦の物語を新たな視点で描く歴史大作『レジェンド&バタフライ』(2023年1月27日公開)。本作の公式サイトとMOVIE WALKER PRESSで展開している「レジェバタ公記」は、作品をより深く楽しむための情報をお届けするWEBマガジンだ。第3回では、信長&濃姫を取り巻く登場人物たちの史実上の姿をご紹介。彼らの人物背景を知れば、より深く映画を味わえるはず!
映画『レジェンド&バタフライ』で描かれるのは、織田信長とその妻、濃姫の"最低最悪の出会い"、そして彼らが駆け抜けた "激動の30年の軌跡"である。時代を変えることになる2人の運命的な出会いから、波乱に満ちたその後が濃密に映しだされ、そこには何者も入り込む隙はない。しかし、舞台は激動の戦国時代。信長と濃姫の周囲にいる人物は皆、誰もが物語の主人公になり得るほどの濃いドラマを持った"レジェンド"ばかりなのだ。
本当にマムシ?国を盗んだ非道な濃姫の父:斎藤道三
まず取り上げるのは、濃姫の父親にして美濃(現在の岐阜県南部)の武将である斎藤道三。出自についてははっきりとわかっていないが、僧侶から油商人になり、そして武士になったという経歴の持ち主だ。司馬遼太郎の小説「国盗り物語」で信長と並んで主人公として描かれたことなどにより、主君を討ち、追い出して“国盗り”を実現させ成り上がった「下剋上」の代表的人物として知られるようになる。
道三といえば、“美濃のマムシ”の異名で有名。なぜかというと、猛毒を持つマムシのように危険で恐るべき存在であったこと、仕えていた主君を破るさまが「マムシの子は親の腹を食い破って生まれる」という迷信と合致したこと、マムシが巨大な獲物を丸呑みするように美濃国を手中に収めようとしていたことなどが挙げられる。が、この異名は後世になって小説でつけられたものらしい。
道三の娘、濃姫にまつわる記録は非常に少ないが、信長に嫁いだのが15歳の頃で、彼女にとって三度目の結婚だった。ここで気になるのは過去の二度の結婚のこと。実はどちらの結婚も夫との死別だったそうで、目的のためなら手段を選ばない道三が絡んでいた可能性も十分にある。また、濃姫以外の道三の娘たちも次々と政略結婚させられていたという。同盟や和睦の証として人質のように娘を輿入れさせることも日常茶飯事だった戦国時代ではあるが、“国を盗む”ほどの大事を成すにはそのくらいの気概と冷徹さが必要だったのかも…?
本作『レジェンド&バタフライ』での濃姫も、あわよくば信長を暗殺しようとする危険な面を見せる。そしてその背後に控えるのは、大御所・北大路欣也が貫禄たっぷりに演じる斎藤道三だ。この親にしてこの子あり…ではないが、したたかに戦国の世を生き抜いたマムシの娘の姿に説得力を与える存在感は必見だ。
上司に恵まれ大出世!?天下人となった男:明智光秀
2020~21年にかけて放送されたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公だったのも記憶に新しい明智光秀。誰もが知る歴史的大事件、本能寺の変で謀反を起こし、信長を自害に追い込んだ裏切り者…という印象が強いものの、名もなき身分から戦乱の世を切り抜け、主君に忠誠を誓い、数日ながら天下をとるほどの大出世を成し遂げたということを考えると、非常に優秀な人物であることがわかる。
生年をはじめ、光秀については諸説あり現在も明確ではないが、通説によると父は美濃の斎藤道三に仕えていたとされる。道三と彼の長男の争いに巻き込まれ、放浪の身に。越前(現在の福井県)で朝倉義景に仕えると、後の第15代室町幕府将軍となる足利義昭とも接点を得る。上洛し将軍になりたい義昭を信長と繋ぎ、信長に重用されるようになっていく。
妻の髪を売るほど困窮していたという放浪後は、上司に恵まれトントン拍子に出世していくように見えるが、すべてのもとになっているのは光秀のハイスペックぶりだ。どの陣営につくかを見極める眼力はもちろん、豊富な医学知識を持ち、優れた建築技術で城をみずから設計、格式高い連歌会にも参加するほどの素養も持っていた。もちろんこれらは一朝一夕で身につくものではないので、すべて彼の努力のたまものといえるだろう。
前述のように生年は諸説あるものの、定説では光秀は信長よりも年上だったとされているが、『レジェンド&バタフライ』では信長よりも若かったという大胆な解釈でストーリーを構築、若き宮沢氷魚が光秀をミステリアスに好演。何を考えているのか誰もわからない不穏な空気を放っている。
ちなみに、光秀は道三の甥で濃姫とは“いとこ同士”だったという説も。2006年のNHK大河ドラマ「功名が辻」では、信長、光秀、濃姫の三角関係が描かれた。また、光秀は本能寺の変以降、山崎の合戦の後に討たれたとされているが、高名な僧・南光坊天海として生き延びて徳川家康に仕えていた…という生存説も語り継がれている。