「ガンニバル」原作者×柳楽優弥による独占対談!物語誕生秘話や撮影トリビアまで語り尽くす「実はあそこに監督が写ってるんです」
「必ずなにか疑問符をつけるという風に描いていったように思います」(二宮)
――本作の山本晃久プロデューサーが原作について、「読み始めると止まらない」と語っていましたが、次々に新事実が明かされる緻密な設計が「ガンニバル」のおもしろさの一つと思います。連載中は、どのように物語を積み上げていったのでしょう。
二宮「“一気に読めるように”は確かに最初から意識していました。でもそれくらいかな。基本的な『最終的にこうしたい』というのはありましたが、そこに向かって描いていっても、結果的にはそうじゃなくなってくる。“1話1話をおもしろくする”を優先的に考えていくと、やっぱり想定通りには進んでいかないものなんです。例えばある展開に持っていきたいと思っていたとしても、まどろんじゃうシーンがあったら消して作り直していました。
いま考えると、一つの出来事が完結するとしても、必ずなにか疑問符をつけるという風に描いていったように思います。自分で残した謎が“フリ”になって、それを解決していく――『そういえばこのネタ使えるな』みたいな感じで、改めてそこを掘り返してみたり。結果的にうまくいってよかったです」
――ちょっと余談ですが、原作には西川きよしさんや小日向文世さんがモデルでは?と思えるようなキャラクターも登場します。キャラ作りは映画などからアイデアを引っ張ってくるものが多かったのでしょうか。
二宮「その2人に関しては、完全に脳内で再生する声も含めてご本人のイメージを立てながら描いていました。ただ全員に対してそういうものがあったわけではないですし、いま描くとしたらどっちもやめると思います(笑)。正直、最初はここまでシリアスな話になると思っていなかった節があって、ちょっとギャグっぽいテンションで描いていたんです。いまだったらもっとシリアスにします」
「どうやったらこのストーリーが湧き出てくるのか、興味があります」(柳楽)
柳楽「僕が二宮先生に聞きたかったのは『そもそもどうしてこの物語を描こうと思ったか?』というところです。取材をしたり、アイデアの基になったりするような体験談があったのか、それとも完全にイメージによる創作なのか…。どうやったらこのストーリーが湧き出てくるのか、興味があります」
二宮「田舎に対する差別意識があって…というのは冗談で(笑)、田舎や村でなくても、あるコミュニティの中に入っていく時の考え方の違いやそれによって生じるストレスってどこでもあると思うんです。それが基で、わかりやすくするために“食人”というテーマを使わせていただいたという感じです」
柳楽「すごくわかります。『ガンニバル』に出てくるのは供花村という日本の小さな村ですが、アジアやヨーロッパの村でも成立するし、コミュニティの中に入っていく怖さってありますよね。だから、実際に世界中の村に住んでいる人がどう思うのかすごく気になります。本作は“ヴィレッジ・サイコスリラー”という触れ込みですが、村やコミュニティを舞台にした作品には多くのコアなファンがいますよね。それは、国や地域を問わずに共通する“怖さ”があるからだと思います」
二宮「『ガンニバル』は海外でもそこそこ売り上げがいいらしいんで、ある程度は読まれていると思います。特に反応がいいのは、フランスらしいです」
柳楽「フランスなんですね!ヨーロッパの価値観って日本とは一つステージが違う印象ですし、封建的な村やコミュニティって滅茶苦茶怖そうです…」
二宮「本当に。日本の比じゃなさそうですよね(笑)。そういうところも踏まえて、こうした意識って所かまわず、世界中であるんじゃないかと思いながら描いた部分もなくはないです」
――それこそ、作中では「食人文化はパプアニューギニアほか世界中でみられる」という記述がありますもんね。
二宮「そうなんですよね。作中で結局触れられなかったのですが、大悟に最後に『別に(人間を)食っててもいいけど』と言わせたかったんです。本当は『別に状況が状況だったら俺でも食うよ』と入れたかったけど、尺の都合で入りきらなかった」
――確かに、「ひかりごけ事件」(1944年に発覚した北海道における死体損壊事件)のような「危機的状況で食うか、食わざるか」といった事例もありますし。
二宮「本当に悪いことかと言われたら、そういう風な状況になったとしたらその選択は間違っていないと思う、と主人公の口から言わせたかったんです。そこを描けなかったのはちょっと残念ではありますね」