“ニュースの賞味期限”は短くなっているのか?地上波・ネット・映画を駆使する『戦場記者』須賀川拓のジャーナリズム
「無関心で出来た小さな歪みは、段々と広がっていっても気づけないんです」
――インタビューをしていると、どちらか一方向に感情が動いてしまう時があると思います。その一方向に向いてしまった感情のまま報道することは、記者として正解なのか?と思うことはありますか。
「記者も人間ですから、ブレていいんです。例えば『イスラエルが悪い』と思っていた人がハマスのロケット弾にさらされて、家族を失ってもなお『私はパレスチナを恨まない」と言っている人たちの言葉を聞いた時、心が揺れ動かないことはないと思います。逆もしかりです。記者のイメージって『万能でなんでも知っている。ブレない自我を持つ』みたいな感じだと思いますが、そんなことはなくて、弱い人間なんです。それを含めて、観ている人に判断して欲しいです。もちろん、ブレ過ぎはよくありませんが、ブレてこそ掴めるものもあると思っています」
――ドキュメンタリーを観て気づかされることがたくさんあります。アフガニスタンの現状を見て、ふと日本に住んでいる自分が怖くなりました。自分たちも今後どうなるか分からない、政治に無関心のままでいるとその可能性もあると。
「無関心が一番恐ろしいです。パレスチナの人たちは『忘れられるのが怖い、それが恐ろしい。僕たちのことを覚えていて欲しい』とよく言います。だからこそ、インタビューにも答えてくれる。ガザに関しても、もし何十年か前に世界がガザに注目した時の状態がいまも続いていれば、皆が無関心になっていなければ、政治リーダーの決断は変わっていたと思います。無関心で出来た小さな歪みは、段々と広がっていっても気づけないんです。
ウクライナの戦争も、彼らにとってはいま始まったことではないんです。2014年のクリミア危機から始まっています。そのあと、世界は無関心でロシアでFIFAワールドカップも開催されました。もしもあの時、世界がまだクリミア危機に関心を持っていて、ワールドカップをボイコットするなどの状況が起きていたら、いまのウクライナの戦争は起こらなかったかもしれません」
――言葉には出していませんが、子ども達の遊んでいる姿からも“戦争が犯した大きな罪”を感じることが出来ます。
「大人のエゴですよね。僕はどちらかと言えば、パレスチナ寄りです。明らかに力の不均衡があります。でも一方で、ホロコーストミュージアムに行ってユダヤ人が受けて来た組織的、国家的な迫害や殺戮を目の当たりにすると、彼らの“絶対に干渉されない自分たちの国を作りたい”という想いが理解出来ないはずはないんです。とてつもない歴史を背負っている。その歴史を背負っておきながら、いまは逆に力の強いほうになり、紛争の当事者になっている。本当に悲しいことです。単純に善悪では割り切れないほど、イスラエル側もパレスチナ側も深い傷を負っています。当事者同士では解決できないと思うので、世界中の人たち皆で考えないといけない問題だと思います。でもニュースの賞味期限はどんどん短くなっていますから。考えるきっかけが、どんどん失われていく。だからこそ、ニュースやYouTube、映画を作って考えるきっかけが少しでも増えるよう、種をまきたいという気持ちです」
――「ニュースの賞味期限が短くなっている」とおっしゃいましたが、いま見て欲しい報道とYouTubeと映画、いろいろなフォーマットで発信している須賀川監督は、“賞味期限”についてどう思われていますか。
「ニュースはいま起こっている出来事を放送します。例えばニュースとして『ウクライナでいま、爆発が起きました』と伝えることは、いままさに起こっている出来事です。このニュースを1か月後に流しても意味はありません。でもその現場に行って、その現場で暮らしている人たちの声を拾い始めると一気に話が深くなる。つまり賞味期限が一気に伸びる感覚になります。いままでは、伸びた賞味期限のものを出すところがありませんでした。例えば1週間取材したものをニュースで流すことは難しいですが、YouTubeなどで見せることが出来る。さらにもっと取材をして1年後に映画としてもっと深く見せること出来ます。仕法が変われば、賞味期限は伸びていくと考えています」
――報道の早さに慣れていると、映画公開までが遅く感じることはありませんか。今回の映画では1年前の映像もありましたが。
「それはあります、ジレンマです。現在進行形の話だと特にそう感じます。製作者としては毎回すごく心配することです。実はいま、シリアについての証言を撮り溜めています。ただ、もし私の取材中にアサド政権が倒れてしまったら、自分が取材したことは意味がなくなってしまう。でも、取材過程で知り合った、アサド政権によって苦しめられた人々の苦しみは、アサド政権がなくなったからといって消えるわけではありません。彼らの声は伝えないといけない。でも政権が倒れ、追及したかったアサド大統領がいなくなってしまう、という不安はいつも背中合わせです。少しでも早くお見せするほうが良いにこしたことはありません。でも、映画でないと見せられないもの、映画だからこそ見せることが出来ることもあります。だからこそ、地上波、ネット、映画と3つの車輪が今後、すごく大事になっていくのではないかと。どれか一つでも欠けたらいびつになってしまうと思います。地上波、ネット、映画、それぞれの利点を活かして発信していきたいと思います」
――“戦場記者”という仕事は、なんのためにしていますか?
「最終的にはどんな仕事も自己満足だと思うんです。僕は誰かに『ありがとう』と言われたいんです。実は記者という仕事をしていて、『ありがとう』と言われたことがほとんどありませんでした。日本で事件記者をやっていた時は、それこそ罵詈雑言で、結構辛かったですね。家族を失ってつらい人にマイクを向けているのに『ありがとう』と言われたのは、戦場記者になってからです。その言葉によって、自分がその人の想いを託された気がしました。すごく責任も感じますし、『ありがとう』をまた聞きたいという自己満足、自己実現が最終的に彼らの言葉を伝える力になればいいと思っています。一方で、ガザでインタビューに答えてくれた人に、その後『もうインタビューに答えない。あなたたちに話しても私たちの生活は変わらない』と言われた時は、やりきれない気持ちになりました。“このまま、この仕事をやっていていいのか?”と悩んでしまう時も正直あります。でも、声を伝えるためには、続けていくしかないんです」
取材・文/伊藤さとり