イム・シワンのサイコパス役が光る…大胆リメイクで“デジタル化の功罪”描く韓国映画『スマホを落としただけなのに』が快進撃
サスペンス韓国版『スマホを落としただけなのに』は、デジタル化の功罪に主眼を置いた珠玉のサスペンス
本作よりも以前、ストーリーの要素にスマートフォンを取り入れた『完璧な他人』(18)では、仲の良い男女が集まる酒席でほんの遊び感覚で始まった「スマホに届く電話、メッセージなどすべてをみんなにさらけ出す」というゲームが、人間関係を揺るがす一大事を引き起こしていく。人間は隠しておきたいやましい秘め事や後ろ暗い感情、軽々しく明かしたくない素顔を持つものだ。「スマホはブラックボックス」というセリフに表れているように、たとえ家族であろうと他者からなかなか覗き見られないスマートフォンには、その一部始終が集積していると言える。『完璧な他人』は、スマートフォンというパンドラの箱を開けることで明らかになる人間の愚かしさと不完全さを浮き彫りにした、秀逸なブラック・ヒューマン・コメディだった。『スマホを落としただけなのに』は、こうした過去作とはまた異なる。
韓国へ行くと、日本と比較にならないほどのデジタル化先進国であることに驚かされる。2016年に韓国で開始した動画配信サービスNetflixは世界規模にシェアを広げ、BTSを代表としたK-POPのワールドワイドな活躍にも、豊富なオンラインコンテンツが一役買った。メリットがある一方、人生の40%をネットに費やし、その時間は日本やアメリカに比べて格段に長いと指摘されている韓国社会では、スマホ依存が深刻化している。そして、ナミが警察に訴え出てもハッキングを証明できず為す術がないように、顔の見えない犯罪は巧妙化し被害者を増やしていく。また、指先一つで悪意を拡散するヘイトスピーチの横行も後を絶たない。2019年頃に社会を震撼とさせたテレグラム性搾取事件の後も、デジタル性犯罪は増加の一途をたどっている。
サイコキラーがスマホを拾うことは、映画の中だけの話かもしれない。だが、幼い頃からスマートフォンを扱う若者たちは、デジタル技術には慣れているのにデジタル倫理を学んでいないと嘆息する声もある。私たちは果たして、スマホの依存と危険から逃れることは可能なのだろうか?そんな警鐘を鳴らして、韓国版『スマホを落としただけなのに』映画は幕を閉じる。娯楽作品として完成しながら、フィクションが社会に為し得る役割を発揮した韓国映画らしい傑作と言えよう。
来たる5月には、イ・ソンギュンとチョ・ジヌンの追走劇に誰もが興奮させられた傑作アクション『最後まで行く』も岡田准一と綾野剛のタッグによってリメイクされる。社会情況を反映した日韓の珠玉のサスペンスは、これからも観客を大いに楽しませてくれることだろう。
文/荒井 南