カズオ・イシグロが語る、『生きる LIVING』にの主人公に“命短し”と歌わせたくなかったメッセージ

インタビュー

カズオ・イシグロが語る、『生きる LIVING』にの主人公に“命短し”と歌わせたくなかったメッセージ

モニターの向こうに見える部屋には書棚よりもグランドピアノとその横に置かれたギターのほうが強い存在感を放っていた。いまやノーベル賞作家としての顔が圧倒的に世間に知られているカズオ・イシグロには、本気でミュージシャンを目指していた時期がある。それが黒澤明の1952年の作品『生きる』のリメイク『生きる LIVING』(公開中)でひょっこりと顔を出す。慎ましく生きてきた市役所勤めの中年男性、渡辺勘治(志村喬)がガンを患ったことで、これまでの人生を振り返った時に、ポロリと口ずさむ「ゴンドラの唄」。これをイシグロはスコットランドの民謡「ナナカマドの木」ヘと変えたのだ。

公園のブランコで満足そうな表情を見せる、クライマックスシーン。ビル・ナイの美声に酔う
公園のブランコで満足そうな表情を見せる、クライマックスシーン。ビル・ナイの美声に酔う[c]Number 9 Films Living Limited

ちょうど8作目となる小説「クララとお日さま」の執筆中だったというのに、イシグロ氏がハプニングのように『生きる LIVING』の脚本を手掛けることとなったのは、自身が飲んでいたBARにビル・ナイが現れ、その時、「君にぴったりの物語がある」と黒澤版『生きる』を推薦したことに端を発する。イギリス映画と黄金期の日本映画の邂逅をつなぐキーとなったことを含め、原作者ではなく、脚本家として映画製作に深く関わることとなった数奇な流れについて、氏にオンライン・インタビューで話を聞いた。

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AIロボットと少女との友情を描いた近著「クララとお日さま」発売中 著/カズオ・イシグロ 翻訳/土屋 政雄 早川書房刊

「ビル・ナイは抑制した演技において、本物の匠だと思います」

カズオ・イシグロが『生きる』から得たメッセージとは?
カズオ・イシグロが『生きる』から得たメッセージとは?

まず、すべての発端であるビル・ナイという俳優は、イシグロ氏にとってどういう存在だったのか。その回答に対しては実に長い回答が戻ってきた。「ビル・ナイさんはやっぱり抑制した演技において、本物の匠だと思います。もちろん古今東西、表現力に長けた俳優は多く存在しますが、1950年代のイギリス紳士の流儀を表現するには技術が必要です。ビル・ナイはその技術をあまりにも自然に行使するので、観ている側はそれが演技だと気づかない、逆にカメラの前でなにもしてないように見える。でも、ほぼなにもしていないように振る舞いながら、彼はものすごく多くの感情を表現していて、そのことを観客に意識すらさせない。私は彼の演技スタイルがとても好きです。彼は技術を感じさせずに、感情を直接的に観客の心に届けるのです。彼はかつてのジェームズ・スチュワートと同じ資質の持ち主で、観客に温かい愛情を抱かせる人。そういうことを含め、ユニークな俳優だと思っています」。

バーでの歌唱シーン。この映画の発端もカズオ・イシグロとビル・ナイがバーで出会ったことだったそう
バーでの歌唱シーン。この映画の発端もカズオ・イシグロとビル・ナイがバーで出会ったことだったそう[c]Number 9 Films Living Limited

イシグロ氏にとって、ビル・ナイのスタイルが愛すべきものとして映るのには、彼の小説の映画化『日の名残り』(83)でアンソニー・ホプキンスが体現したイギリス紳士らしい“慎ましさ”の美徳も大きい要素に違いない。黒澤明、橋本忍、小國英雄の共同脚本の『生きる』は志村喬演じる渡辺の喜怒哀楽の感情がはっきりと描かれている。しかし、イシグロ版では、怒と哀の感情のトーンは相当薄い。また、イシグロ版ではビル・ナイ演じるウィリアムではなく、市役所の市民課に採用されたばかりの新人ピーター(アレックス・シャープ)に物語の語り部の役割を移しており、当事者発信の物語ではなく、限定された人生の中、ウィリアムが後世に公園を残そうとした意思を引き継ぐ者としての構造を強めている。ウィリアムに、これまでとは違った人生をやり直ししたいと喚起させる市民課の女性の部下マーガレットの描き方も、現代のジェンダー観を投影し、対等な関係へと修正している。これらの意図をイシグロ氏はこう説明する。

市民課に配属されたばかりのピーター(アレックス・シャープ)が、ウィリアムズを追う
市民課に配属されたばかりのピーター(アレックス・シャープ)が、ウィリアムズを追う[c]Number 9 Films Living Limited

「マーガレットの関係性において、ロマンティックでセクシュアルな面はいっさい出さないと決めていた」

「私が『生きる』のリメイクで最もやりたくなかったことは、年のいった男性と若い女性とのロマンスですね。Mr.ウィリアムと市民課の部下、マーガレットの関係性において、ロマンティックでセクシュアルな面はいっさい出さないと最初から固く決めていました。よくあるスター映画ではこのような構図はよく見かけますが、私の脚本においては、マーガレットはとても自然発生的に生きていて、ウィリアムは自分にはそんな生き方はとても難しいと思っている。私は本作にもう一人、ピーターという若い部下を登場させ、恋愛の要素はむしろマーガレットとピーターとの間に展開したわけですが、この若いカップルの存在を観客に強く意識させたかったのは、Mr.ウィリアムが残すレガシーを2人が引き継ぎ、社会へとつながっていくことを示唆したかったからです」。

ウィリアムズの元部下で、バイタリティあふれるマーガレット(『生きる LIVING』)
ウィリアムズの元部下で、バイタリティあふれるマーガレット(『生きる LIVING』)[c]Number 9 Films Living Limited


また、今回のリメイク版の刺激的な変化として、志村喬の放つ小市民の悲哀の色を薄めたことで、黒澤明の映画のリメイクであるにもかかわらず、『生きる LIVING』にはままならぬ運命を静かに受け入れる小津安二郎の晩年の作品に通底する静かな諦念が漂うことだ。まさにこれは、日本映画ではなしえなかった“黒澤meet小津”の映画ではないか、と聞いてみると、「そうです。小津meet黒澤ということが、この映画製作よりもずっと前から頭の中であった」という。

黒澤明監督作では『羅生門』『七人の侍』にも出演した志村喬が演じる『生きる』の主人公、渡邊勘治
黒澤明監督作では『羅生門』『七人の侍』にも出演した志村喬が演じる『生きる』の主人公、渡邊勘治[c]1952TOHO CO.,LTD

「私は志村喬がとても好きですが、それでも『生きる』の渡辺勘治役を笠智衆が演じたら違った作風になったんじゃないかとずっと前から思っていました。『生きる』は黒澤明のキャリアの中で、ちょっと他とは違いますよね。サスペンス調の現代劇、侍が闘う時代劇とも違って、『赤ひげ』のような社会性の強さもない。どちらかというと小津安二郎や成瀬巳喜男が手掛けた庶民劇のスタイルで作られた作品だと感じます。私はこの映画の企画以前からずっと、『生きる』を小津安二郎が作ったならば、きっとこんな風になっていたのではないかと想像し、それが形になったのが本作と言えるかもしれません。その際、誰が演じるのかという、役者にかかっていたことをビル・ナイが果たしたとも言えるでしょう」


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