安藤サクラ、永山瑛太が語る“是枝裕和への信頼”と“坂元裕二脚本の魅力”「テイクを重ねることに喜びを感じた」
「テイクを重ねることに喜びを感じたのは、初めてだったかもしれない」(永山)
――安藤さんは『万引き家族』以来の是枝組でしたが、現場の印象はいかがでしたか?
安藤「是枝監督の現場づくりというのは、どの部署もフラットで、プレッシャーがなく、年齢も関係性も超えて意見を交わせる環境なので、それぞれがそれぞれの力をシンプルに引きだしてくれる現場だと今回も感じました。監督自身の脚本ではなく、坂元さんの脚本という意味で違いを感じたとすれば、前回は撮影を終えると翌日の脚本が変わることが普通でした」
――「差し込み」と呼ばれる、修正箇所のプリントが配られるんですよね。
安藤「はい。どんどんと脚本も作品もうねるように動いて、どこに着地するのかわからない。その作品の可能性を探りながら、みんなで作っていく感じがありました。今回は差し込みがほぼなくて、代わりに前回よりもテイクを重ねた印象があります。NGという意味ではなくて、幾度も動いてみて選択されていましたね」
――永山さんは、初の是枝作品への参加でした。印象に残っていることは?
永山「撮影初日が、恋人役の高畑充希さんと火事を見つけるシーンでした。その日の夜に監督から『もう、保利先生のキャラクター像が見えました』とメールをいただいて、少し安心しました。役作りといっても僕にできることは限られているので、俳優として最低限のこと――セリフを覚えて、監督の演出を受け取って、健康でカメラ前に立つこと。キャスティングをされた時点で幸福で、『自分の表現をしよう』みたいな雑念はなく、保利として生きられました。
いままで味わったことがないことと言えば、子どもたちの演出です。主演のふたりは台本を読んでいましたが、クラスの子たちは読んでいなかったのでなにが起こるかわからない。目の前の言動に反応していくと、自然と先生像ができあがっていきました。あと、サクラの目を見て演技をするのも初めてだったので、ずっとサクラを見ていました。どういう動きをするんだろう、と」
――安藤さんはいかがですか。
安藤「私は職員室で校長先生や保利先生たちから謝罪を受けるシーンが、最初の撮影だったんですよ。心情的には息子がひどいことをされてすごく嫌だったし、場面としても怒りがおさまらなくなる状況で。でも、段取りの確認とかテストでは、腹がちぎれるくらいみんなで笑いました」
――そうだったんですか。本編はとても緊迫感あふれるシーンだったので、そんな和やかな舞台裏があったとは決して思えませんでした!
永山「坂元さんの脚本って、悲劇的なシーンでも捉え方によっては喜劇にもなる。あんな場面で、いい大人が急に飴をなめるなんて…」
――親が怒鳴り込んできているのに、当の教師は上の空という(笑)。あのシーンは、腹が立ちました…!
安藤「腹が立ちますよね。失礼極まりないというか。だけど、視点を変えると、ものすごく変な人じゃないですか?みんなも『こんなタイミングで飴なめるって、なんだこいつ…』って思っていたらおかしくなってきちゃって。集中力と楽しさって紙一重だと思うのですが、テイクを重ねるとどんどん演じる楽しさが増していって、すごく集中して演じられた最高の現場でした」
永山「僕もそうですね。テイクを重ねることに喜びを感じたのは、初めてだったかもしれない。芝居によくないところがあったから撮り直すのではなくて、表現の可能性を探るようにもう一度撮る。監督がミリ単位で演技を見てくれているという信頼があったので、そのやり取りがとても楽しかったです」
安藤「信頼は大きかったよね。監督と役者の間だけではなくて、現場全体の信頼関係があるから、『もう一回』となっても誰かを否定することがない。みんなが『もう一回』を受け入れて、なにができるのか考えて、自分自身の最善を尽くそうとする感じがすごかったです」
――様々な視点から物語が描かれるということで、演じるにあたって非常に繊細なやり取りがあったのではないかと想像していました。意識されたことはあるのでしょうか?
安藤「私はそんなに器用ではないので、早織という役はずっと変わりませんでした。例えば、母目線だとなんて滑稽で、頼りなくて、ふざけた教師たちなんだと思ったのですが、視点が変わったとしても、相手の根っこは変わらないなと思ったんです。それは、自分の感じを変えずに演じられたからかなと思います」
永山「僕もあくまでも自分の役として演じました。台本とは別で、ノートに保利の周りで起きたことを時系列に沿ってメモしていました。順撮りではないので、ごっちゃになってしまいそうで。辻褄を合わせるために、この時点で保利がなにに気づいていて、なにに憤りを感じているのか、日付と共にノートに書き込みました」
安藤「私もノートに時系列をメモしていました。日記みたいに、何月何日に〇〇があった、と書き残して。わからなくなっちゃうもんね」
永山「そこを間違えちゃうと、人物そのものが変わってきちゃうから」
安藤「でも、保利先生は特に、視点によって見えかたが変わるもんね」
永山「演じ分けはしないけれど、周りの状況が見えてくると、役の印象が変わりますよね。ただ、自分の中では整合性をつけながら演じていました」
「『人間』というタイトルでもいい映画だと思います」(永山)
――最後に、映画を通じて感じた“怪物”について教えていただけますか。
安藤「私は、“怪物”を映画から受け取りませんでした。命の美しさや人間の深さ――いろんな人が共存しながら生きとし生けるすべての美しさ、を見つけましたね」
永山「僕も怪物感はなかったですね。ただ『怪物』というタイトルがすばらしいと思いました。でも『人間』というタイトルでもいい映画だと思います(笑)」
安藤「ああ、そうだね」
永山「いろんな視点が世の中にはあって、人間はこれだけ複雑に、多面的にできているんだなと感じました」
――親としての学びや教訓を受け取る部分はありましたか?
安藤「そういう視点で観なかったですね。ただ、一つの正しさを伝えたり、ストーリーを追ったりする映画ではないじゃないですか。いろんな人が、いろんな選択をする。主人公の子どもたち2人の選択も含めて、もっと単純に、純粋に、その美しさにただただ感じ入ってほしいなと思います。いろんな要素が詰め込まれている映画なので、劇場だとその世界観に入り込めるのではないかなと思います」
取材・文/羽佐田瑤子