韓国の国際養子縁組の実情とは?リアルな困惑や違和感をつづる『ソウルに帰る』が示すもの
海外でも製作されている国際養子縁組をテーマにした作品
ところで筆者が初めて韓国の海外養子縁組に関心を持ったのは、2004年に放送されたドラマ「ごめん、愛してる」を通してだった。韓国で大ヒットし、日本を含む各国でリメイクされた。主人公のムヒョク(ソ・ジソプ)は幼い頃オーストラリアへ養子に出されるが、養父母にも捨てられ、ストリートチルドレンとして育つ。成人して韓国へ戻ったムヒョクは、自分を貧しさゆえ手放したと思っていた生みの母が実は裕福に暮らしていた事実を知り、ショックを受ける。
近年話題になったドキュメンタリー映画では『Twinsters』(15)がある。1987年生まれの双子の女の子がそれぞれ韓国から米国とフランスに養子に出され、互いの存在を知らずに過ごしていたところ、SNSを通じてつながる。顔も声もそっくりの2人はやがて、生年月日も生まれた場所も同じという事実が分かる。米国で育ったのがサマンサ、フランスで育ったのがアナイスで、サマンサはこの映画の監督も務めた。印象的だったのはサマンサもアナイスも朗らかでよく笑うことだ。生みの母を捜す過程で涙も見せるが、2人が出会えた喜びのほうが大きいように見えた。
韓国系アメリカ人のジャスティン・チョンが監督・脚本・主演を務めた『ブルー・バイユー』(21)では、韓国生まれでアメリカに養子に出された主人公アントニオが移民政策によって妻と子供と引き離されそうになる。事件を起こしたことがきっかけで、強制送還を命じられるのだ。3歳から米国に住んでいるのに韓国に帰れ、とは。30年以上前の養子縁組の際の書類不備が理由だった。養子が味わう理不尽に唖然とした。実際にも米国に送られた養子が、不法滞在者として追放されたケースがある。
韓国から海外への養子縁組は、1950~53年に起きた朝鮮戦争がきっかけで始まった。親を失った孤児が多く、国が経済的に余裕のない状況で欧米諸国に養子として送られるようになったのだ。一方、北朝鮮は朝鮮戦争の孤児を東欧諸国に送り、数年後に強制的に連れ戻したという歴史がある。これについては近年、チュ・サンミ監督『ポーランドへ行った子どもたち』(18)、キム・ドクヨン監督の『金日成の子どもたち』(20)という2本のドキュメンタリー映画が韓国で作られ、日本でも劇場や配信で公開された。
20万人を超える子どもが韓国から海外へ
経済的に発展し始めてからも韓国から海外への養子縁組の数は減らず、朝鮮戦争以降、20万人を超す子どもたちが海外へ養子に出されてきた。軍事独裁政権下では外貨獲得の手段だったとされ、ピーク時の1985年には8837人に達した。80年代後半から民主化と共に減少してきたが、今日にいたるまで続いている。
少子化が急激に進む韓国では2022年の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子どもの数)が0.78という前代未聞の低さまで落ち込んだが、それでも海外へ養子として出される子どもたちがいる。2022年は142人だった。大半が未婚の母の子だという。経済的な困難、あるいは父がいないことに対する偏見が海外養子縁組の背景にあるようだ。
海外に養子として出され、生みの親に育てられるよりもいい環境で幸せに育つ場合もあれば、「ごめん、愛してる」のムヒョクのように再び養父母に捨てられて苦労する場合など、その境遇は様々だ。だが、『ソウルに帰る』はそういった観点とは少し違う。フランスで養父母に恵まれて育ったフレディがたまたま祖国の地を踏み、真実を知りたいという気持ちが芽生えるが、その気持ちも揺れ動く。フレディが失望したのは、「ハモンド」が母の連絡先を把握しながら、フレディに教えないことだった。出生にまつわる真実を知りたい子どもの権利と知られたくない親の権利。守られるべきはどちらなのか。「子より親を守る?」と憤るフレディの言葉が刺さった。
近年、韓国では海外養子縁組のために戸籍などの記録が改ざんされていた事実が明らかになるなど、多くの問題が指摘されている。真相究明に乗り出した養子も少なくない。養子が出生について知る権利が尊重されるようになってきたのは、ごく最近のことだ。
祖国で大きな壁に阻まれたように感じたフレディだが、時を経て再びソウルに帰る。フレディの真実を求める旅路は続く。
文/成川 彩