内野聖陽、瀬戸康史が眼前にいるかのような臨場感!三谷幸喜の傑作舞台「笑の大学」高品質上映を体験してみた
この変化について、「笑の大学」上映後のトークイベントでは、三谷と今作の美術を担当した堀尾幸男が今作終盤での演出に着目した発言があった。堀尾は、世界の演劇に共通するルールとして、「上手(客席から観て舞台右)に地位の高い人物が立つ」と解説。たしかに今作でも、数日間を通じて繰り返される修正作業では、上手に向坂がどっしりと構え、奥のドアから椿が出入りし、机を挟んで下手の椅子に腰掛けるのが定位置。堀尾はそれを踏まえたうえで、終盤の演出には大きな意味があると指摘した。堀尾の指摘した三谷の演出は、立場もバックボーンも信条もまったく異なる2人が、喜劇の脚本を通じた変化を象徴するような、エモーショナルな感動をもたらすシーンとなった。
椿が去ったあとの取調室で向坂は、最後の無理難題にも見事応えた椿の台本を読み、ひとりで笑う。天井から降り注いでいた照明も絶え、ペンダントランプの局所的な光だけが向坂を煌々と照らす。三谷は「笑の大学」公式パンフレットのなかで、内野と瀬戸という新たなキャストによって、今回の上演では「向坂と椿に父親と息子のイメージが重なってきた」といい、ラストを変えたと語っている。向坂はたしかに笑っているが、この笑いがただ愉快なものではなく、一人の人間の変化の体現であり、同時に時局に翻弄される不条理や、戦争が人に与える残酷さややるせなさ、様々な感情を含んだ複雑なものであることが、観客に伝わてくる。
そして、二人芝居でセットも一種類のシンプルな仕立てだけに、これも上映後のトークの三谷の言葉を借りれば、「舞台美術が三人目の主役」のように存在感を増し、繊細かつ強い印象をもたらしていた。上映後のトークでも話題になった、向坂のために椿が持ってきた折りたたみ式の鳥小屋や、飯盒の中の小鳥といった小道具には、シンプルながらも演劇の本質に迫るエッジの立った意匠が凝らされており、ここでも「笑い」の奥深さを感じさせる。これらの舞台装置の存在感も、今回の高品質上映では余すことなく観客に届けていた。
この戯曲が世界各国でも上演されていることは、ミニマムな二人芝居であり、戦争と創作、笑いを取り扱う脚本が普遍性を帯びていることがあるのは間違いないが、まったく異なる立場のふたりが、ひとつの脚本をめぐり、お互いを理解していく。人と人との関係性の変化の普遍性でもある。シンプルだが簡単ではなく、心置きなく笑えるが、観終わったあとに複雑な余韻が残る。豊かな魅力の持つ名作の新たな上演の形を、多くの観客へ届けた上映会となった。
文/北原美那