ヨルゴス・ランティモスのとめどない感性の氾濫に酔う『哀れなるものたち』はどんな映画?日本初上映レビュー
第91回アカデミー賞で作品賞を含む最多9部門10ノミネートを獲得した『女王陛下のお気に入り』(18)のヨルゴス・ランティモス監督とエマ・ストーンが、サーチライト・ピクチャーズと再タッグを組んだ『哀れなるものたち』(2024年1月26日公開)。本作が第36回東京国際映画祭の「ガラ・セレクション」部門に出品され、待望の日本初上映を迎えた。
筆舌に尽くしがたい異物感がついて離れない、なんとも不可思議な映画体験
橋から身投げしたところを天才外科医ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)によって救われ、彼の型破りな発明によって生き返った若き女性ベラ(エマ・ストーン)。ゴッドウィンの保護下に置かれ、彼の教え子であるマックス(ラミー・ユセフ)と結婚することになる彼女は、婚姻契約のために現れた放蕩者の弁護士ダンカン・ウェダバーン(マーク・ラファロ)の誘いを受け、未知なる世界を知るべく大陸横断の旅へと出発することになる。
ファーストシーンで映しだされる青々とした空の背景に、ランティモス映画らしからぬ開放感を予感したのも束の間、白黒の画面で描かれるゴッドウィンの邸宅の場面へと切り替わり、いつも通りの閉塞的な環境へと連れていかれる。そうして始まる142分間の奇妙奇天烈な物語は、ことごとくこちらの想像の斜め上をいく。観ている間も観終わった後も、筆舌に尽くしがたい異物感がついて離れない、良い意味でなんとも不可思議な映画体験であった。
ベラという主人公を生き長らえさせるゴッドウィンは動物同士を結合させるなど、まごうことなきマッドサイエンティストであり、ベラの存在はまさしくフランケンシュタインの怪物。彼女の目を通して描写される様々な街の光景は限りなくエネルギッシュであり、ベラ自身が怪物性を存分に残しながら進化をしていく過程を通して、これがフェミニズム映画であることを体現する。
ランティモスはアラスター・グレイによる原作小説の映画化を長年にわたって望んでいたとのことで、これまでの彼の作品群の源流はここにあったのだと、本作のいたるところから感じることができる。とりわけ閉塞的な邸宅によって象徴される男性社会という抑圧と、そこから飛びだし性的な意味での解放によって自由を得ていく様は、ランティモスがアカデミー賞外国語映画賞候補となりその名を世に知らしめた『籠の中の乙女』(08)と極めて密接に符合している。
こうした映画的な味わいと適切な均衡を保つように、『女王陛下のお気に入り』に続いて撮影監督を務めたロビー・ライアンによる魚眼レンズ調のルックや覗き穴のようなフレーミングで視点が限定されたショットが、鑑賞者の背徳感を誘発していく。また、序盤で白黒だったゴッドウィン邸が後々カラー化していくように、抑圧からの解放が色の有無で表現される点はゲイリー・ロスの『カラー・オブ・ハート』(98)を想起することができ、同時に典型的なコスチューム劇に落とし込まない空想科学映画めいた世界観の付与によって、この映画の奇妙さがよりいっそう高められていく。
ファスビンダー映画のミューズであるハンナ・シグラが担う、巧みなコメディレリーフ
ゴッドウィン邸に幽閉されていたベラが外部から現れた“異物”であるダンカンと邂逅する邸宅の屋上が、本来であればひとときの開放感を表す場所になって然るべきところを、箱庭のようなセットの背景によってより窮屈な環境に作り込まれているのは興味深い。ランティモスと初タッグを組んだジェームズ・ブライスとショーナ・ヒースのプロダクションデザインはこの映画の成功に最も貢献しているといえよう。万華鏡のようなリスボンの空間設計に、アレクサンドリアのオレンジ色の世界、雪が降り積もるパリでの猥雑な娼館のセット。
その道中で過ごす遠洋定期船上での一連は特に魅力的だ。周囲を海で囲われた逃げ場のない空間でありながらも、老婦人との出会いによってベラが様々な知識を得ていく学びの場として機能することで、この映画のなかで最も開放的な環境であり続ける。LEDスクリーンで作られた海の背景の向こう側に可能性が見出されるというのも、前述のスタジオセットとの対比がよく効いている。しかもこの老婦人を演じるのはファスビンダー映画のミューズであるハンナ・シグラ。彼女が巧みなコメディレリーフを担う点も、うれしい驚きの一つであった。
先ごろ行われたヴェネチア国際映画祭では、最高賞である金獅子賞を受賞。同じサーチライト・ピクチャーズの『シェイプ・オブ・ウォーター』(17)と『ノマドランド』(20)は、この名誉を携えたまま翌年のアカデミー賞で頂点にのぼりつめている。他にも『ROMA/ローマ』(18)と『ジョーカー』(19)など、近年ではすっかり賞レースの幕開けを飾る場所として定着したヴェネチアは、いまやトロント国際映画祭とならぶアカデミー賞の一番切符だ。
早いうちから賞レースへの参戦が期待されていたこともある以上、この一番切符を得た本作は第95回アカデミー賞の主役候補に名乗りを挙げたと考えていいだろう。とはいえ、ここまでランティモスの強烈な作家性が炸裂した作品が、やや保守的な部分から抜けきれていない賞レースでどのように受け入れられるのかは気になるところ。少なくともこのとめどない感性の氾濫は、一度や二度で咀嚼しきれるものではないのである。
文/久保田 和馬