幸福の“ゼロサム”を描く新奇なホラー映画『みなに幸あれ』。その“バッドエンド”が意味するものとは?【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
2021年に作品の公募がスタートした日本ホラー映画大賞。この賞の特徴は、“ホラー映画”にジャンルを絞った本格的な映画賞であるだけでなく、大賞を受賞した監督には長編の商業映画デビューを確約し、それを全面的にバックアップするところにある。撮影や録音のデジタル化を背景に、近年は誰でも簡単に動画を撮ることができるようになった一方で、若い映像作家にとって商業映画監督デビューへのルートは限られている。そこに、“ホラー映画”という日本映画界にとって世界的にも実績を積み重ねてきたジャンルの縛りを設けることで、一つの王道と呼べるようなコースを作ることを目的としている。
下津優太監督の長編商業映画デビュー作『みなに幸あれ』は、その第1回の受賞作である短編をセルフリメイクしたものだ。大賞を受賞した監督には、受賞作品を長編としてセルフリメイクするか、あるいはまったく別の長編を撮るかの選択肢が与えられるわけだが、下津監督は躊躇なく受賞作の長編化に挑んだ。『みなに幸あれ』はその皮肉が効いた的確なタイトル、日本映画界でにわかにブーム化しつつある“因習村もの”としてのツカミ、そしてそこに込められたシリアスなテーマまで、商業映画として多くの観客に問うに相応しい作品であったからだ。
ホラー映画の作家には大きく分けて、「ホラーを撮るために生まれてきたような監督」と「数ある選択肢の中からホラーのジャンルに挑んだ監督」がいる。下津監督は日本ホラー映画大賞の存在が動機となって初めてホラー作品を撮った、後者の監督と言っていいだろう。しかし、興味深いのは今回の『みなに幸あれ』の制作を通して、そうした自身の作家としてのスタンスや心境に変化が生まれつつあることだ。
取材タイミング的に、下津監督にとって初めての経験となった今回のロングインタビュー。商業監督デビューにいたるまでの道のりだけでなく、世界的にもいまや若い映画監督にとっての数少ない“勝ち筋”となっているホラー映画を撮ることについての考察、そして『みなに幸あれ』の“バッドエンド”に込められた真意についても、じっくりと語り合うことができた。
※本記事は、ストーリーの核心に触れる記述を含みます。未見の方はご注意ください。
「『死ぬまでに1本でもいいから映画が撮ればいいな』と思ってたぐらいだったんですよ」(下津)
――日本ホラー映画大賞の選考委員として、自分は下津監督の『みなに幸あれ』のオリジナル版を「選んだ側」の一人です。なので、最初に自分自身の選考委員としてのスタンスを伝えておくと、前提として、90年代の日本映画界で生まれたJホラーって、めちゃくちゃ偉大なカルチャーだと思うんですね。個別の作家は別として、これだけ世界に影響を与えた日本発の映画カルチャーって、ほかにないじゃないですか。
下津「それこそ、あとはアニメーションくらいですよね」
――はい、アニメーションは別として。実写作品においては、いまも世界中の作家に影響を及ぼしている。でも、だからこそ2020年代に入ってからこの賞が立ち上がった時、その偉大なカルチャーのフォロワーではなく、それを刷新するような新しい感性が宿った作品を送りだしたいと思ったんです。で、『みなに幸あれ』はオリジナルの段階から、作品のルック、編集のリズム、そしてテーマまで、まさにそういう作品で、「こういう作品に出会いたかったんだ!」となりました。
下津「ありがとうございます」
――日本ホラー映画大賞に応募したオリジナル同様、商業監督としての長編デビュー作となった本作もロケーションは福岡県の同じ場所ですよね?
下津「はい、同じロケ地です」
――現在は東京にお住まいですけど、出身は?
下津「北九州市出身です。高校まで福岡にいまして、大学は佐賀で、理系の機械システム工学科にいました」
―― そうなんですね。この連載でお会いする監督、自分が好きになるタイプの作品にそういう傾向があるからなのか、わりと理系出身の監督が多いんですよ(笑)。
下津「大学の選択で映画制作の授業があって、そこから自主制作で映像制作を始めるようになって、それと同時にサガテレビでアルバイトをしたり、地元でちょっとしたCMを作ったりとかして、大学を卒業してからはフリーランスの映像作家として、主にCMやミュージックビデオの監督をしてきました」
――東京に出てきたのは?
下津「25、6のころですね。九州で撮影した大きな案件に東京のスタッフがいらっしゃって、そこでつながりがいろいろできて、東京での仕事を依頼されたのをきっかけに上京したという感じです」
――その時点では、映画監督を目指してというわけではなかったんですか?
下津「基本的にCMばっかりやっていたので、正直、『死ぬまでに1本でもいいから映画が撮ればいいな』と思ってたぐらいだったんですよ。それで、日本ホラー映画大賞の存在を知って『これだ!』と懸けてみた感じです。それまでにも、他の賞にいくつか応募はしてたんですけど」
――30代に入ってすぐに今回の日本ホラー映画大賞を受賞したわけですよね。『死ぬまでに』というわりには、意外にも早く叶った(笑)。
下津「本当に運が良かったなというか(笑)」
「日本映画にありがちな説明台詞の乱用も、海外ではマイナスと見られなくなるのかなって」(宇野)
――「こういう映画を作りたい」というような、作家としてのビジョンのようなものはあったんですか?
下津「広告の仕事で普通に生活はできていたんですけど、やっぱりあくまでも広告は広告だったので、クライアントありきの仕事だったわけですけど。自分がモットーにしているのは、言葉で語らず映像で見せるっていうことで。特に近年の日本映画だと、1から10まで説明するような、小学生にもわかるような説明的な映画が多いんですけれども。そうではなくて、僕は3から7ぐらいで説明して、説明台詞をなるべく廃して、映像で感じてもらうということをやりたくて」
――それは、よく言われる映画の一つの正しいあり方でもあるわけですけど、今回の『みなに幸あれ』に関して言うと、説明台詞的な台詞も結構ありますよね(笑)?
下津「そう、結構あるんですよ(笑)。オリジナルの短編のほうはそんなになかったんですけど、長編のほうはわりと入っちゃったなってのがあります。正直、そこはもっとブラッシュアップしたかったところで、悔いが残ってるとしたら、正直ホンだけなんですよね。現場での撮影だったり、編集だったりは、いまの自分のベストを尽くせたと思っていて」
――そうですね。話の流れでネガティブなニュアンスの質問をしてしまいましたけど、最初に言っておくべきだったのは、商業映画の長編監督デビュー作として、『みなに幸あれ』が本当に見事な作品だったということです(笑)。
「ありがとうございます(笑)」
――それと、説明台詞の問題については自分も映画批評においてはわりと指摘をするほうなんですけど、ちょっと考え方を改める必要があるのかなって思ったのは、『ゴジラ-1.0』が海外であれだけ受けてることなんですよね。これまで北米の観客は外国語映画を吹替えで観るのが主流だったわけですが、最近は字幕で観るようになっていて。そうなると、日本映画にありがちな説明台詞の乱用も、海外ではマイナスと見られなくなるのかなって。『みなに幸あれ』も、海外で賞を受賞されてますよね?
下津「はい。ありがたいことに(プチョン国際映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞)。(第56回シッチェス・カタロニア国際ファンタスティック映画祭の上映で)スペインにも行った時も、いい意味で意外だったのは、おっしゃるように字幕上映ということで、説明台詞だとか棒読みだとかも気にならないのか、とても観客のリアクションがよかったことで」
――アニメーション映画の人気にも表れているように、現在の海外の観客は、日本の作品に“語り”の洗練を求めてるわけではないのかもしれないというのは、最近よく考えることです。
下津「そうかもしれませんね」