幸福の“ゼロサム”を描く新奇なホラー映画『みなに幸あれ』。その“バッドエンド”が意味するものとは?【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
「古川さんのようなすばらしいセンスをもった役者にこの役を演じてもらえたのが、この作品の成功の一番の要因」(下津)
――でも、それが新人監督にしていきなりこれだけの作品を世に送り出すことができた、一番大きな理由かもしれないですね。つまり、ホラーにどっぷりじゃない人が新鮮なホラーを作ったっていうだけじゃなくて、その上で、ちゃんと監督自身の魂も入ってる作品になってる。無理してサイコパスを装う必要がなくて、素でサイコパスだったっていう(笑)。
下津「(笑)」
――先ほどもおっしゃっていたように、ホラーって実写映画で日本から世界を目指すとしたら、それだけで圧倒的なアドバンテージがありますよね。
下津「いや、本当にそう思っていて。正直な話、『ここ空いてる!』と思ったんですよ。メジャーの作品は特定の監督で回ってるし、なおかつ一番世界に出やすいジャンルと言われている」
――Jホラーとしてちゃんと実績を積み重ねてきているので、世界的にもリスペクトされてますしね。
下津「そうです。なのに、世界を狙ってる若手の監督があまりいない。『あ、行ける』と思って。だったら全部かっさらってやろうと(笑)」
――その戦略は本当に正しいと思います。特に北米では、ビッグバジェットのフランチャイズ作品とアニメーション作品以外のヒットって、ほぼホラーですから。特に若手の監督がいきなりボックスオフィスで1位を獲ったりするのって、いまではジャンルとしてはホラー以外あり得ませんからね」
下津「そうですよね」
――ホラーが有利とかじゃなくて、新人監督がメインストリームで勝負をしようとするなら、それ以外のルートがない。
下津「本当に。だから、あとはタイミングが大事だと思ってます」
――だけど今回、同じ作品を短編から長編にして作り直すのって、失敗する可能性も十分にあったと思うんですよ。でも、結果として短編のコンセプトはそのまま、蛇足的なことにもならず、ちゃんと約1時間半の長編映画になった。それは、なにが一番ポイントだったと思います?
下津「作品の9割9分の時間、古川琴音さん演じる主人公の”孫”が画面の中にいる。観客はその”孫”の目線で作品世界に入っていって、そこで奇妙な状況に取り込まれていくわけで。そう考えると、もう本当に古川さんのようなすばらしいセンスをもった役者にこの役を演じてもらえたのが、この作品の成功の一番の要因かなと思います」
――それは本当にそうだと思います。
下津「これは現場的な話なんですけど、古川さんが『こんなスケジュール見たことないです』っておっしゃるぐらいタイトなスケジュールというか、そういう製作の規模感だったので、ほとんど1テイクで撮ってたんですね。なので、本当に古川さんだからこそこんなやり方でも作品として成り立ったんだと思います」
――そういう意味では、この作品はホラー映画として、ダリオ・アルジェントの『サスペリア』とか『フェノミナ』とかの、いわゆる美少女ホラーにも通じるような正統派にも属しているんですよね。で、そこで重要なのは若い女性が酷い目に遭う時、その主人公にどれだけ自然に感情移入ができるかということで。逆に言うと、それができないと、主人公がどんな酷い目に遭っても観客は別にどうでもいいじゃないですか。
下津「(笑)」
――いや、正直そういうホラー映画って、日本にも海外にも山のようにあって。そこで鍵となるのは、奇妙な状況に入る前の日常の世界をいかにちゃんと描写できるかで。『みなに幸あれ』の短編を最初に観た時も、冒頭の主人公が電車に乗ってるシーンの時点で、他の応募作とは全然違う次元で作られた作品だと思ったんです。
下津「やっぱり恐怖って、日常に異物が混入して起こるものだと思うんですよね。ホラーを撮るとなると、まずその異物にフォーカスしがちなんですけれども、やっぱりその前の段階の日常が描けてないとそこに落差が生じないので。まさに、日常の生活を大切に描くことは心がけましたね。あと、今回良かったのが、メインのキャストさん以外は福岡のキャストさんなので、方言だったり言葉のニュアンスみたいなのが、なんかいいふうに転がったのかなって」
――確かに、今回の長編では方言の効果も大きいですね。そのおかげもあって、異常な世界に入った後も入りっぱなしではなく、ちゃんと日常の世界に一旦戻ってくる。そこの緩急がすごく効いてる。
下津「ありがとうございます」
「ここで描かれているのはすごく現代的なテーマだと思っていて」(宇野)
――最後に、『みなに幸あれ』の本質的なテーマの部分についてちゃんと話をしたいんです。というのも、ここで描かれているのはすごく現代的なテーマだと思っていて。まさに、それは『みなに幸あれ』というタイトルにも込められているわけですけど、このテーマにしようと思った理由はなんだったんですか?
下津「そうですね。もともとは都市伝説で、”地球上感情保存の法則”っていうのがあるのを知りまして。物理の授業とかで”運動量保存の法則”みたいなのを習ったと思うんですけど。簡単に言うと、地球上に住む幸せな人と不幸な人を足し合わせるとゼロになるみたいな」
――いわゆる“ゼロサム”というやつですね。
下津「はい。それがおもしろいなと思って、学生のころからずっと頭の片隅にあって。それを企画を考えている時に思い出したんですね。もしそれが本当であれば、意図的に不幸な人を作り出すと、他の人が幸せを得られるんじゃないかという。でも、それってよくよく考えると僕らが生きているこの世界の成り立ちって、既にそうなってるんじゃないかって」
――なるほど。おもしろいですね。
下津「そのことをメタファーとして描こうとしたのが企画のスタートですね。僕の中の裏テーマとしては、もしかしたら観客によっては伝わらないかもしれませんが、現実と理想についての考えというのがあって。劇中で、あまり直接的ではないですが、いじめの描写がちょっとあって。いじめってなくならないし、なんなら大人もやってるよねぐらいの感じが現実で。一方で理想としては、いじめなんて世界からなくなればいい、というのがあるわけじゃないですか。でも、その現実と理想、どっちかを描くだけでは僕は駄目だと思っていて。理想だけで生きてる人がいるから、いじめを隠蔽するみたいなことが起きちゃうと思うんですよ。
みんなが、いじめはどこでも起こり得るってことを認識してないと、その問題に向き合うことができないと思っていて。なので、難しい問題に直面した時は、その現実をまず受け入れて、その上で理想を描くことが僕は大切なのかなと思うんですね。世界中のいじめをなくすことはできないけれど、目の前のいじめをなくすためには、それが第一歩という。ここでいういじめは、それこそ戦争にも置き換えることができるかもしれない。豚肉を食べるシーンの台詞もそういう考えで」
――序盤の食卓のシーンですよね?
下津「はい。別に豚肉を食うなって言ってるわけではなくて、豚が家畜として殺されてそれを食べてるっていう認識が、我々はちょっと薄くなっているのかなっていう。その現実をちゃんと理解して受け入れるってことが大事なのかなっていう」
――ただ、これって思想的な問題にもつながるわけですよね。要するに、みんなが幸せになれるという理想を掲げた思想には、例えば歴史的にコミュニズムとかもあったわけですけど、ある種、それの否定でもあると思うんですね。
下津「はい」
――その“幸せ”という言葉をあえて言い換えるなら、それぞれどんなアイデンティティを持った人間も、あるいは食肉の問題でいうなら動物も、すべての生き物は尊重されるべきだという理想があって。でも、現実世界でいろんな問題が起きている要因の一つは、そのような理想そのものだったりする。
下津「はい、そうですね。でも、その理想も描ければと思っていて」
――つまり、この作品では現実をメタファーとして突きつけるだけじゃなくて、理想を持ち続けることの大切さについても描いている?だとしたら、自分は理想の部分はあまり感じられなかったんですけど(苦笑)。
下津「そうですか(苦笑)。それはラストシーンの解釈になってくると思います」
――なるほど。
下津「パッと見はバッドエンドかもしれないですけど、単純なバッドエンドにはしたくなかったんです」
――自分が現代的だなと思ったのは、別にこれから話すことは個人的な思想ではなく、ただの現実認識の仕方ですけども。20世紀の世界には第二次世界大戦後も植民地主義が根深く残っていて、でも、21世紀に入ってそれがいよいよ隠蔽しきれなくなって、様々な経済活動や社会運動によって見直されるようになってきた。この20年の大きな違いって、かつて第三世界だとか発展途上国とかそういう言葉で呼ばれている国があって、世界中の富が欧米や日本などのごく一部の国に偏在していたのが、中国やインドを筆頭にBRICSと呼ばれる国々が発展していったことで、いわゆる南北問題はなくなってきた。グローバルサウスという最近の言葉も、まさにそのことを表しているわけですけど。でも、そうやってかつて貧しかった国の人々の生活の質がどんどん向上してきたと同時に、アメリカであったり、日本であったり、いわゆる先進国と呼ばれてきた国の内部に、これまで以上の格差が生まれているという。だから、世界レベルでは不均衡が是正されているという歴史の流れの中で、アメリカや日本は国内に深刻な格差問題を抱えるようになったという考え方もあるわけで。
下津「はい」
――『みなに幸あれ』は、まさにそのことをテーマにしてると自分は思ったんです。
下津「はい。劇中でアフリカの話も出てきますしね」
――あの”アフリカ”という括りは、ちょっと乱暴だと思いましたが(苦笑)。
下津「そうですね(苦笑)」
――まあ、劇中に出てくるかなり特異な登場人物の台詞なので、そこにツッコミを入れるべきかどうかは判断が難しいところなんですけど。それこそナイジェリアのラゴスなんて、もう世界有数の大都市ですからね。
下津「はい。ただ、そうやって本作のテーマをそれぞれの方が展開していただいて、いろいろ考えていただけれる余白があるようにと考えました」
――下津監督自身は、本作で描かれているような幸福の“ゼロサム”的な考え方を受け入れているわけではない?
下津「はい。なので、このタイトルは皮肉だけでなく希望の意味も込めてます」
――いずれにせよ、自分は今作のテーマってすごく重要なものだと思うので、下津監督が今後どういったキャリアを築いていくのかはまだわからないですけど、探求していく価値があるものだと思います。世界的にも共有されやすいテーマですし。
下津「ああ、そうですね」
――その過程で、そこで希望の度合いがちょっと増すのか、あるいは絶望の度合いがさらに増すのかがとても気になりますね。やっぱり、1本だけでその監督の作家性をすべて読み取るのって難しいので。
下津「はい。ちゃんと次の作品につなげたいと思ってます」
――今日の話の流れだと、それもやっぱりホラーで?
下津「まだ詳しいことは言えないんですけど、ホラーはホラーでも、ダークユーモア的なところに興味があって。こっちの人は怖がりながら観てて、あっちの人は笑いながら観てるみたいな」
――ああ、それはいいですね。今後も活躍を期待してます!
下津「ありがとうございます」
取材・文/宇野維正