「宇宙空母ブルーノア」主題歌・川崎麻世が明かす、「ヤマト」からのプレッシャーと過酷な70年代アイドル事情
「曲を聴いてから、レコーディングするまでは1日しか時間がなかったんです」
最初にオープニング曲を聴いた時には「平尾先生はこういうアニソンも書かれるんですね」と驚いたという。「でも曲を聴いてから、レコーディングするまでは本当に1日くらいしか時間がなかったんです。エンディング曲の『夜間航海』なんてレコーディング当日に初めて曲を聴いたんじゃなかったかな。だから、とりあえず何度も何度も聴くしかないので、聴いてどうにか覚えてレコーディングスタジオに入り、何度か直していきながら完成させた記憶があります」。
わずか1日での練習からの完成!いまとなっては信じられない話だが、当時としてはそんなに珍しい話ではなかったと言う。「山口百恵さんも宇崎竜童さんと阿木燿子さんに曲を書いていただいていましたけれど、その時もやはり当日に聴いてレコーディングしたということが多かったそうですよ。しかも思い出しましたが、『ブルーノア』のシングルの発売日に、(ジョージ・ハミルトンが主演したコメディ映画)『ドラキュラ都へ行く』の主題歌の日本語カバー曲『フライ・バイ・ナイト』のレコードもリリースしたんです。こちらは原曲もあったし、少しレコーディングまでには時間がありましたが。もちろん、こういった状況に僕も満足していたわけではなく、できれば時間はほしいと思っていました」。
「ファンの子たちと『ブルーノア』の放送を観た記憶があります」
当時本当に時間を取ることができなかった川崎は、「毎日流れ作業のようになにかを覚えなければいけない状態」だったと振り返る。「今日は『レッツゴーヤング』の資料に目を通さなければいけない、そのあとはドラマの台本を覚えなければいけない。その間に新曲の振付も覚えなければならない…。当時の学生は、鞄をお湯につけてペッタンコにするというのが当たり前でしたが、僕は台本やファンレターをいつもパンパンに詰め込んだ分厚い鞄を持ち歩いていました。先生からは“ドクター・バッグ”って呼ばれていましたね(笑)」。
そんなに忙しいなかでも学校からファンクラブに直行しては、自らファンレターの整理などをしていたというから恐れ入る。「ファンクラブで『ブルーノア』の放送をファンの子たちと観た記憶があります。歌が流れて、ファンの人たちが『キャー』と声援を送ってくれたのはうれしくて、すごく覚えていますね」。
■川崎麻世
1975年、当時12歳でよみうりテレビの番組内の素人参加コーナー「パクパクコンテスト」で西城秀樹の振り真似を披露し、グランドチャンピオンになったことがきっかけで芸能界入り。1977年にテレビドラマ「怪人二十面相」の小林少年役で俳優デビューし、同年には「ラブ・ショック」で歌手デビューも果たす。以後、テレビドラマやバラエティ番組などで活躍し、数多くのミュージカルにも出演。近年の出演作に『翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜』(23)京都市長役などがある。
■「宇宙空母ブルーノア」全24話(※全27エピソード)
【配信】
Amazon Prime Video「スターチャンネルEX」で配信中
※第1話<1>~<4>は、1979年の初回放送時に2時間スペシャルとして放送した第1話の分割版となっています。
【放送】
BS10 スターチャンネル 【STAR1】 3月25日(月)より毎週月~金曜日 20:15ごろ放送
先行無料放送 BS10 スターチャンネル 【STAR1】 3月23日(土)17:00~
※第1話<1>のみ無料放送。
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