【ネタバレレビュー】美しく、恐ろしい。闇を背負う女たちが躍動する「SHOGUN 将軍」第6話
衣装にも注目!能の場面は「1600年代の日本のメットガラのよう」
そして今回もう1人、着目したい女性となるのが、淀(茶々)を想起させるキャラクターとなる、二階堂ふみ演じる落葉の方だ。明智の逆心によって命を奪われたかつての権力者・黒田の娘にして、亡き太閤の側室で、太閤の子を産んだ唯一の女性として大坂で政治的影響力を握っている。そんな彼女だが、第6話では「いかにして落葉の方になったのか」という過去も垣間見える。じっとりとした妖艶さすら漂うオーラを身につけるまでには、それは壮絶な道のりを辿ってきた落葉の方。自らの宿命を背負い、虎永を追い詰めようとする彼女は、見ているこちらがゾクゾクするほど恐ろしくも美しい。迫力あふれる落葉の方は、二階堂の俳優としての真骨頂を感じられるキャラクターとしても必見だ。
プロデューサーの真田が「正しい生地を使ってほしい。日本の生地でなければならない」と衣装担当にお願いするなど、随所にわたって徹底した時代考証が行われた本作。コスチュームデザイナーのカルロス・ロザリオは和服の構造を正しく理解するために、日本から多くの衣装を借りて研究を重ねたという。二階堂とも「落葉の方がどのような女性であるか」を話し合った結果、落葉の方の衣装の下層には“悲しみ”を表現する秋色と絵柄を取り入れ、上層には秋色を保ちながら、力強さを表すために金色をプラス。また少女時代の鞠子がピンク色の着物を着ていたり、物語が進むなかで自分の意志を確かめた鞠子が赤色の織り込まれた着物を身につけるようになるなど、衣装からもキャラクターの内面を感じ取ることができるのでぜひその点にも注目してほしい。
ちなみに第6話に登場する能舞台の場面は、プロの能楽者が日本から衣装を持参して撮影に参加した一方、舞台の観客たちはロザリオがデザインしたこだわりの一点ものを身につけているという。ロザリオが「能の場面は1600年代の日本のメットガラのようなもの」と胸を張るシーンは、登場人物たちの視線が絡み合い、彼らの交錯する思惑に息を呑みつつ、能舞台に迷い込んだような感覚もたっぷりと味わえる。強烈に“タイムスリップ戦国時代”できる瞬間として、オススメしたい。
時は来た!虎永の気勢に震える
さて天下争いの中枢に足を踏み入れた按針はといえば、第5話で大地震によるピンチに見舞われた虎永を救ったことで、第6話ではさらに虎永から取り立てられる。「望むような役目は果たせない。日本を出たい」と訴える按針に、虎永は当時もっとも人気の遊女と過ごせるようにとはからうのだが、この褒美の特徴は、そこに通詞として鞠子も同席すること…。按針、鞠子、遊女となんと3人で一晩を過ごすことになるのだ。
伊豆で一番の遊女である菊(向里祐香)のもとを訪れた、按針と鞠子。現世と切り離されたような、なんとも甘美な香りのする場所で、菊は“うたかた”の意味や、自身の役目を按針に説明する。「別のところへ行きたいという望みを叶えて差し上げる」「私たちを隔てるものはなにもない」「いまここで私と一つになってください」――。菊の言葉を、鞠子が通詞として按針に伝えるのだが、禁断の関係へと陥りつつある按針&鞠子にとっては特別な響きを持つ言葉ばかり。鞠子の唇、首筋、視線などゆっくりとクローズアップしていくひとコマはあやしい輝きを放ち、通詞という役割があるからこそ可能になった官能的なシーンに、ドキドキさせられた。菊を演じる向里の耳をくすぐるような声、遊女の誇りと色気をにじませる熱演も印象的だ。
虎永を取り巻く面々が個性豊かなキャラクターばかりであることも本作の見どころなのだが、按針がどんどん取り立てられることで、虎永の息子・長門(倉悠貴)、薮重の甥・央海(金井浩人)が思わず共鳴してしまう場面には、ニヤニヤとしてしまった。倉と金井がヤキモキ、イライラを見事に表現しているが、真田がリーダーとなった現場に参加できたことは、彼らにとってかげかえのない経験となったはず。これからの2人の活躍も大いに楽しみになってくる。
そのようにあらゆる者の焦りや企て、狙いが満ちるなか、クライマックスでは、機運が熟したことを確かめた虎永がついに立ち上がる。「時は来た!」という虎永の力強い気勢に、こちらまで「おー!」と声を上げたくなる。それはすべて、間近で虎永たちを見ているような没入感を叶えているからこそ。日本の歴史上もっともドラマチックと言える戦国を舞台にした時代劇を、ハリウッドのスケールで堪能できる。改めてなんと贅沢なことかと、プロデューサーも務めた真田の本気にシビれた。本格的な戦いの幕開けとなる第7話以降にも、胸が高鳴る!
文/成田おり枝