「五臓六腑で体感してほしい」ブランドン・クローネンバーグ監督が語る『インフィニティ・プール』の裏側
鬼才ブランドン・クローネンバーグ監督の新作『インフィニティ・プール』(4月5日公開)は、架空のリゾート地“リ・トルカ島”を舞台に幕を開ける。美しい海が広がる穏やかな風景のなかに、憂鬱な表情を浮かべた一組の夫婦がいる。夫のジェームズは作家だが、処女作を酷評されて以降、まったく筆が進まず、裕福な父を持つ妻のお荷物状態だ。
「曖昧さから解釈と議論が生まれることに、重要な価値がある」
ジェームズの心に棘となった、この処女小説の題名「変わりゆく鞘(The Variable Sheath)」がまず、意味ありげでおもしろい。「Sheath」は主に刀を収める「鞘」(転じてコンドームを指すことも)だが、日本語に訳すと豆の「鞘」と同じ言葉になる。ここで侵略系スペースホラーの名編『SF/ボディ・スナッチャー』(78)を連想するファンも多いだろう。あの映画では、人間のコピーを生みだすべく、宇宙から巨大な豆の鞘(Pods)が飛来してきた。そもそも、この小説は一体どんな内容なのだろう。
「劇中にはタイトルしか登場しませんが、夫婦関係に悩む泌尿器科の医者の物語でした。実際に僕が執筆して、800頁くらいの小説に仕上げたんです。出版の予定はないですけどね」。いままでも過去の短編映画や小説など、自身の習作を数年間煮詰めて長編映画化してきたクローネンバーグ監督。もしかしたら、今後「変わりゆく鞘」がなんらかの作品として不思議な実を結ぶかもしれない。
主人公のジェームズはこのリゾートで予期せぬ異常体験をする。ここでは大金を払えば自身のクローン製造が可能で、どんな罪も分身が贖えばいい。批評によって文壇から「抹殺された」彼はある罪で逮捕され、実際に自分が「処刑」される現場に立ち会う。この体験は一種の型破りなセラピーにも思える。
「僕もメタクソに叩かれた経験がある。どの作品かは伏せますが」と監督は笑う。「ただ、個人的な実感として、批判されたくらいでは死にませんよ。でも、ジェームズは迷子の状態だから、確かに強烈な衝撃を受けたはずです」。
物語が進むにつれて複数のクローンが登場し、オリジナルと区別がつかないサスペンスが生まれる。しかし、映画は誰が本物なのかを積極的には示さない。ラストの解釈は複数のジェームズと、彼が大事に保管する骨壺の数がヒントになるのだろうか。「僕自身が決めた結末はありますが、明確な回答は避けます。曖昧さから自由な解釈と議論が生まれ、さらなる思索を促す。そこに重要な価値があると思うんです」。