中森明夫が語る、『トラペジウム』の達成とアイドル文化の勝利。高山一実の経験が息づく、少女たちの輝き
東西南北の美少女を探して回るストーリーテリングのうまさ
小説「トラペジウム」の主人公は、東ゆう。アイドル志望の高校1年生の女の子だ。「絶対にアイドルになる」ための4箇条を持っている。
①SNSはやらない
②彼氏は作らない
③学校では目立たない
④東西南北の美少女を仲間にする
東ゆうは、各方面の学校に出向いて美少女をスカウトする。そうして自らの理想のアイドルグループを作ろうとするのである。
この物語設定が素晴らしい。私は即座に黒澤明監督の映画『七人の侍』(54)を想起した。野武士の略奪に苦しむ百姓たちが、7人の侍を雇い、村を守ろうとする物語だ。この作品は大ヒットして、ハリウッドで西部劇『荒野の七人』(60)としてリメイクされた。特異な個性を持つ魅力的な7人の侍たちが、次々とスカウトされてゆく前半部が面白い。「トラペジウム」も同様である。
南のお嬢さま女子高で、財閥令嬢の華鳥蘭子をスカウトする。「エースをねらえ!」のお蝶夫人を実写化したようなゴージャス女子と、東ゆうはいきなりテニス対決することに……(このへんはちょっとマンガ的な展開である)。
西の高等専門学校では、ロボコン部に在籍する理系美少女・大河くるみをゲット!小柄でダボッとした服を着て、ロリっぽいルックスと仕草と口調がなんとも愛らしい。
主人公の東に、南と西が加わり、北の女の子(=亀井美嘉)が不意撃ちのように現れる(このへんの物語展開は心憎いまでに上手い!)。
おそらく作家・高山一実は『七人の侍』の影響を受けて『トラペジウム』の物語造型を行ったのではないか?そう確信するのは、この小説の舞台が城下町であり、その中心には翁琉城がそびえ立っているからである。物語の中盤では、東西南北の美少女による”城攻め”のエピソードとなる。そうなのだ、実はこれは少女たちに託した現代の時代劇ー「4人のアイドル侍」の物語なのである。
さらに言えば、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」をも連想させる。江戸時代後期に書き続けられた戯作文学の大作だ。仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の数珠玉を持つ8人の若者たち(八犬士)が集い、戦う物語である。『七人の侍』も『南総里見八犬伝』も、私たち日本人を熱狂させた物語だ。その骨法を知り尽くすストーリーテイリングの才を、「トラペジウム」の作者は持ち合わせているようである。
アイドル視点でアイドルを描く画期的な物語
実は、アイドルを物語にするのは難しい。近年では芥川賞を受賞した宇佐美りんの小説「推し、燃ゆ」や、映画化された劔樹人のコミック「あの頃。」が話題になった。しかし、それらはファンサイドの視線によるアイドル物語なのである。あくまでアイドルそれ自身の内面は描かれない。
「トラペジウム」が画期的なのは、一人称で内面からアイドルを描いて、初めて成功したアイドル小説となりえたことである。それはそうだろう。著者の高山一実が現役のトップアイドルなのだから……と思うかもしれない。しかし、違う。アイドルがアイドルの内面を描く優れた小説を書けるわけではない。いや、かえって難しい。アイドルとは徹底して(ファンやプロデューサーの)客体となりうる才能を必要とする。そこでは主体的に自身の物語を紡ぐことが困難なのだ。
実際、「トラペジウム」は高山一実の体験を基にした私小説ではない。高山はメジャーグループ・乃木坂46のメンバーとして長く活躍し続けた。他方、『トラペジウム』の主人公・東ゆうはアイドル未満の少女で、彼女が(物語のなかで)アイドルとして輝くのはほんの一瞬のことである。両者は、あまりにも対照的だ。
つまり「トラペジウム」は、作家・高山一実によって構築された完全な虚構の物語なのだ。しかし……。
「東さんはどうしてそこまでしてアイドルになりたいんだい?」
「初めてアイドルを見た時思ったの。人間って光るんだって。」
このくだりを読んだ時、ハッとした。これは主人公・東ゆうの言葉であると同時に、まぎれもなくかつてアイドルになりたかった少女・高山一実の肉声ではないか?この肉声がリアルに聞こえるからこそ、「トラペジウム」はよくできた物語であることを超えて、私たちの心を撃つのだ。