オスカー受賞のA24作品『関心領域』の演出に秘められた意図をネタバレありで徹底解説!グレイザー監督が観客に投げかけた問いとは?

コラム

オスカー受賞のA24作品『関心領域』の演出に秘められた意図をネタバレありで徹底解説!グレイザー監督が観客に投げかけた問いとは?

サーモグラフィの演出意図と、「ヘンゼルとグレーテル」

ドイツ語でヘスを演じているのはクリスティアン・フリーデル、そして妻のヘートヴィヒ・ヘス役を務めているのは、ザンドラ・ヒュラーだ。共にドイツでの豊富なキャリアを持ち、様々な賞を獲得している名優だ。この2人をも、あえて淡々と、普段の生活を送っているようにとらえることで本作は、このやり方でしか表現し得ないリアリティの表現と、観客の能動的な思考を促すことに成功しているのである。

出演作2本がアカデミー賞にノミネートされたザンドラ・ヒュラーがアウシュヴィッツ所長の妻を演じる
出演作2本がアカデミー賞にノミネートされたザンドラ・ヒュラーがアウシュヴィッツ所長の妻を演じる[c] Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

このように作為を薄めようとする本作において異色なのは、軍用のレンズと、熱を可視化するサーモグラフィを利用した、夜の撮影シーンである。ここでは、心優しいポーランドの少女が、闇の中で収容者の作業場にリンゴなどの作物を隠し、飢えた人々を助けようとしている姿が映しだされる。この登場人物は、グレイザー監督が本作の用意のために現地で取材していた時に出会った90代の女性の若いころをモデルにしているのだという。

当時、ポーランドの非ユダヤ人である少女は、なにかできることをしなければという想いに駆られ、実際に作業現場に食料を置いていた。それは、あまりにも非人間的な環境のなかにあって、対照的といえるほどに尊い行為だ。暗闇で彼女が光っているように映しだされる演出には、そのような意図が反映されているのだ。また、その様子は、劇中でルドルフが子どもたちに読み聞かせるグリム童話「ヘンゼルとグレーテル」にも重ね合わされる。主人公たちがパンくずを道しるべにしたように、食べ物を散りばめていく行為は寓話的ですらある。

そんな少女が、偶然に作業現場から見つけた手書きの楽譜をピアノで奏でる場面も印象的だ。音にならない声として、字幕で表示されるのは、実際にアウシュヴィッツ収容所に収監されていたヨセフ・ウルフ(ジョセフ・ウルフ)の詩である。彼は施設の中でいくつもの詩や曲を作り書き留めていた人物で、生還後もナチスの犯罪行為を世に知らしめようと活動していた。このように、狂気と暴力への抵抗の意志が、本作のシーンで交差することになるのである。

静かな意志表示として引用される「ヨセフ・ウルフの詩」
静かな意志表示として引用される「ヨセフ・ウルフの詩」[c] Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

曖昧になる、ヘス夫妻と観客の境界線…

そんな神聖ともいえる人間のあたたかさや、ひたむきな精神が描かれる一方で、人間の残酷さ、無関心さが、本作では継続して描かれ続ける。戦慄させられるのは、邸宅の地下の浴室から、収容所につながる通路があったという事実だ。“幸せな家”と“殺戮の施設”は、隣接してるばかりでなく、つながった空間だったのである。その地下通路を利用してヘスが、性的に不適切な行為を行っていた可能性を、映画は示唆している。

さらに恐ろしいのは、妻のヘートヴィヒが、このような環境にありながら、以前から夢見ていた理想的な暮らしを手に入れたとして、この場所に住み続けることを強く望む描写だ。こういった、あまりにも無神経な態度には、多くの観客が驚きを隠せないだろう。しかし、われわれ観客とヘス夫妻には、そうやって分断できるほどの違いが、本当にあるのだろうか。

【写真を見る】『関心領域』で描かれるアウシュビッツの所長一家は、”幸せな家族”そのものだが…
【写真を見る】『関心領域』で描かれるアウシュビッツの所長一家は、”幸せな家族”そのものだが…[c] Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

考えてみれば、われわれもまた生活のなかで、いろいろなものを見逃し、多くの悲劇や理不尽に対して無関心であるといえるのではないか。自国の政府が戦闘行為を行う国家に援助したり、国内の企業が軍事産業に加担して、それが被害をもたらすことに、われわれは関心を持って反対しているだろうか。自殺率が非常に高い社会において、誰かが列車に飛び込むような人身事故が起きても、それを日常の出来事だとして平静に振る舞っているのではないか。移民や外国人が差別され迫害されていることに反対できているだろうか。程度の差こそあれ、われわれはヘス夫妻を異常な存在だとして、自らと切り離すことは難しいかもしれないのである。

ラストシーンの演出から読み取れること

所長として粛々と仕事をこなし、ヘスは組織からの評価を高めていくが、映画の終盤で、彼は突如として吐き気をもよおすことになる。その理由ははっきりと描かれてはいないが、残虐な行為を正当化し続け、罪悪感とは無縁な態度をとっていた彼も、無意識の領域においては、その罪の深さに震撼し、精神のバランスに崩壊をきたしていたのかもしれない。その可能性を示唆したことで、いよいよ彼と観客との境界は曖昧なものとなっていく。


解釈の余地がある、ヘス役のクリスティアン・フリーデルによるラストシーン
解釈の余地がある、ヘス役のクリスティアン・フリーデルによるラストシーン[c] Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

そしてヘスは、人類の愚かしさとユダヤ人の被害を世に知らしめるための博物館となった、現在のアウシュヴィッツの姿を、束の間幻視することになる。現代の目で見れば、われわれは死刑になった所長のやったことを異常なことだとジャッジし、健全な態度として“吐き気をもよおす”ことができる。問題は、われわれ自身が、自分たちや、自分たちを取り巻く社会の異常を、異常なものとして認知できているのかということである。未来の目から見れば、われわれのやっていることもまた、吐き気をもよおすものであるかもしれないのだ。

自身もユダヤ人であるグレイザー監督は、本作のアカデミー賞国際長編映画賞受賞の際のスピーチにおいて、以下の発言をしている。現在、ガザ地区で起こっている事態に対して関心を持たせ、議論や行動を促そうとする彼の勇気は、本作のテーマを深い地点でわれわれに理解させ、そのメッセージを真に際立たせている。

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