『スリープ』「マイ・ディア・ミスター」…不世出の名優イ・ソンギュンが私たちに遺したもの
誰しも、忘れられず記憶にずっと残る俳優がいる。その俳優をとりわけ偏愛しているというだけでなく、彼らや彼女たちの演技が、人生のある瞬間にピースのようにはまることがあるからだろう。
昨年12月末、自ら命を絶ったイ・ソンギュンもまた、説得力と力強さのある俳優だった。ジャンルを問わず、主演から助演まで幅広く堅実に演じ分けてきた彼の不在は、1人の演技巧者を失ったということだけでなく、日に日に重みを増しているように思う。イ・ソンギュンが極端な選択に至った経緯をめぐる問題については、ポン・ジュノ監督ら映画人有志たちが声明を発表し、現在真相究明が待たれている状況だ。今回は、彼を韓国映画界に記憶するべく、その演技を振り返る。
『スリープ』で新人監督が見た、イ・ソンギュンの勉強熱心さ
韓国では7月と8月にかけて、彼の遺作2本が公開される。濃霧の空港大橋で発生した連続追突事故と橋の崩壊危機、そして突如放たれた統制不能の軍事用実験犬から生き残るために死闘を繰り広げる『脱出:PROJECT SILENCE(原題)』、1979年に発生した大統領暗殺事件をモチーフにした『幸せの国(原題)』だ。そして日本でも、生前最後の公開作品となった『スリープ』(6月28日公開)がまもなく劇場公開を迎える。
『スリープ』でイ・ソンギュンが演じたヒョンスは、かつては新進気鋭の役者として褒め称えられたものの、いまではほんの数行のセリフしかもらえない端役におちぶれてしまった。チョン・ユミ扮する妻スジンは、夫の才能を心から信じている。彼のオーディション予定を把握し、彼をサポートするように臨月まで働いている。そして眠りについた夫の奇行が相次ぐと、すぐに解決策を取ろうとする。
この映画は睡眠がテーマであると同時に、結婚という要素もまた作品を貫いていて、不穏な出来事を夫婦で乗り越えていくところがポイントだ。ストーリー展開に夫婦の関係性が必要不可欠だったが、俳優のコンビネーションはキャラクター造形も良い影響があった。メガホンをとったユ・ジェソン監督によると、『スリープ』は特に、スジンの心情に従って室内の様子が変化するようにプロダクションデザインを設計している。このようにスジンのキャラクターはビジュアル面でも伝わりやすいが、ヒョンスは平面的になりかねなかった。それを厚みある人物像に仕立て上げたのが、イ・ソンギュンによるキャラクター解釈だったそうだ。そのためユ・ジェソン監督は「イ・ソンギュンによるヒョンスというキャラクターを基本に、チョン・ユミのスジンを演出した」と明かしている。撮影現場に来ると、イ・ソンギュンはすでにヒョンスに“なって”いる。何テイクを重ねても、ヒョンスそのものだった。確かにヒョンスは、本当に隣人にいそうな、血肉の通ったリアリティある人物だ。徹底した役柄の掘り下げで完成したキャラクターだったのだ。
現代社会にエールを送る「マイ・ディア・ミスター〜私のおじさん〜」
『スリープ』公開にあたって韓国で行われたインタビューで、イ・ソンギュンは自身の“人生の一本”を尋ねられて「40代を代弁する作品で良かった」としてドラマ「マイ・ディア・ミスター〜私のおじさん〜」を挙げている。
イ・ソンギュンが演じた、建設会社でエンジニアとして働くドンフンは、どこにでもいるごく普通の中年男性。ひょんなことから派遣社員のジアン(IU)との交流が始まるが、実はジアンは、ドンフンの妻と不倫関係にあるト社長と結託し、彼を盗聴するなどして陥れようとしていたのだった。それを知らないドンフンは、多額の借金や家族の世話などで幼い頃から苦境に立たされたため、自暴自棄に生きるしかなかったジアンを助けていく。ジアンもそんなドンフンに心を開いていく。このドラマは、特にコロナ禍で世界中が自宅で配信ドラマを楽しむ時期に大きな反響を呼んだ。若い女性の貧困や派遣社員への冷遇、ヤングケアラーといった社会的イシューを体現したジアンに共感が集まったからだろう。同時に、「真面目な無期懲役囚」とジアンに言われるほど、内面に憂鬱を溜め込み周囲と波風を立てることなく生きる“諦めた人間”のドンフンもまた、非常にリアリティがあり現代の肖像のように感じる。
ドラマの終盤、とうとうジアンとト社長のつながりを知ってしまったドンフンが、映画館で1人葛藤するシーンがある。そこで上映されていたのは、イ・チャンドン監督の『ペパーミント・キャンディー』(99)だ。
『ペパーミント・キャンディー』は、光州事件、民主化運動、漢江の奇跡、IMF危機という1980年〜1999年の激動の韓国現代史を、時代に翻弄されなすすべなく運命を変えられてしまった男性ヨンホの人生とともにたどっていく映画だ。見終わったドンフンは、失踪していたジウンの居場所を突き止めて駆けつける。正当防衛とはいえ過去には殺人も犯し、信頼してくれたドンフンまで裏切った自分を責めるジウンに対し、彼はこう言い放つ。
「どうってことない。恥ずかしいこと、人から後ろ指さされること、全部どうってことない。幸せになれる。俺はダメにならない。幸せになるんだ。幸せになるよ」
『ペパーミント・キャンディー』のヨンホは戒厳令下での兵役服務中、少女を誤射し死なせてしまう。それまで純粋で誠実に生きてきたからこそ、たった一度の過ちで再帰する希望を自ら手放し、冷酷にしか生きられなくなってしまうのだった。『ペパーミント・キャンディー』と「マイ・ディア・ミスター〜私のおじさん〜」が接続したことで、社会の象徴的な痛みを負うヨンホと、彼と相似形をなすようなドンフンが「全部何ともない」と語りかけたかのようだった。このセリフが持つ波及的な治癒能力は、時代を越えていた。イ・ソンギュンが亡くなった直後、この作品について言及するファンが相次いだのもうなずける。