「これからも自分を育ててくれる作品に出たいし、そこで自分自身が吸収していかなければいけない」(役所)
——28年という長い年月をかけて作品を作り上げることについて。お2人には長い時間をかけてでも、やりたいこと、作り上げたい作品などはありますか?
役所「もうそれは自分自身ですね。俳優としても人間としても自分自身をどこまで作り上げていけるか。幸い、俳優の仕事でいろいろなことをやって育ってきた。これからも自分を育ててくれる作品に出たいし、そこで自分自身が吸収していかなければいけない。セリフが覚えられなくなるまではそれが続くのかなとは思っています(笑)」
内野「今回北斎を演じて一番すごいと思ったのは、死ぬ寸前まで絵に対する愛や向上心を失わなかった生き様です。晩年になって『やっとおもしろさがわかってきた』とか言ったりする人(笑)。芸術というのは、なかなか飽き足らない世界だから、自分のなかでも北斎のように、ずっと役者として高みを目指すような気持ちを持ち続けられたらいいなって。憧れというのかな。まあ、馬琴と北斎は極端な例ですけれど、北斎という生き様に出会わせてもらったこの機会がすごくありがたいです」
役所「そうだよね」
内野「ですよね。だから、今回は本当に北斎に学ばせていただいたという気持ちがあります」
「やっぱり役者ってどこか醜悪的なものとか、人が見たくないものを見せるのが使命という部分もある」(内野)
——劇中で歌舞伎の鑑賞後に、馬琴と鶴屋南北(立川談春)が「娯楽(エンタテインメント)の在り方」について議論するシーンも印象的です。 長年俳優として活躍されていらっしゃるお2方が考えられる「エンタテインメントの在り方」についてもご意見を伺いたいです。
役所「あのシーンの会話は永遠のテーマで、エンタテインメントの世界に携わるみんなが南北的なものを目指したり、馬琴的なものを目指したりしている。事実、僕たちも行ったり来たりしていて、それを楽しんでいる感じはしますよね。馬琴としてはあの時、北斎が自分の味方をしてくれないことにちょっと腹を立てたりしていますが(笑)」
内野「アハハハ」
役所「でも、あの会話があって馬琴もちょっと書けない時期を過ごしたんだと思いますね」
内野「揺らいだんでしょうね、かなり」
役所「揺らぎますよ、やっぱり」
——お2人も、常に馬琴と南北の会話のようなことは考えて続けていらっしゃる?
役所「そうですね。あの場面でも、馬琴も理解はもうしているとは思うんです。南北的な表現の仕方、馬琴的な表現の仕方というものがあって、要は表現の違いなんだなって。でもやっぱり、最終的に観る人には決して『悪がよし』という表現はしないわけだから、そういう意味では、馬琴としては、信じてきたものがつまずくような感覚があったんじゃないかな、と思うんです」
内野「僕は『エンタテインメントの在り方』みたいな難しいことはあまり考えずにやっていますが(笑)。僕も鶴屋南北原作の『東海道四谷怪談』の舞台で民谷伊右衛門(※外見は色男で、実際は悪人の役。色悪の代表とも呼ばれるキャラクター)をやったことがあるのですが、なんでしょう、やっぱり役者ってどこか醜悪的なものとか、人が見たくないものを見せるのが使命という部分もあって。みんなが目を塞ぐもの、絶対に口に出せないよね、というところをあえて表現していくのも役者としてすごく大事だと思っているので、南北の言う露悪的な世界も実は好き(笑)。お客さんにも『伊右衛門なんか死んじまえばいい』という気持ちがありつつ、観たいという気持ちもある。勧善懲悪な物語は気持ちがよくて好きだけど、だんだん飽きてくるというのも事実としてあるから、醜悪なものも見たいし見せていきたい。それがエンタテインメントの在り方になるかどうかはわからないけれど、役者の使命としてそういうものがある気はしています」
役所「まさにそうだよね。やっぱり俳優っていうのは欲張りだから(笑)。いろんなことをやりたいし、いろんな表現をする作品で自分もなにかを得たいという気持ちがある。悪が悪くなきゃ報われないということはないけれど、でも、やっぱり正しい心、美しい心が報われるところに導いていきたいという気持ちはあります。醜悪なものを表現して、それを観た人がこうはなりたくないと思えるものを表現する作品は、どんなに残酷なものでも最終的には他人の痛みを感じる心を育ててくれるもの。文学でも映画でもなんでもそうだと思います」