芸術家、堂本剛だからこその説得力を生みだした『まる』
久方ぶりの主演作『まる』(公開中)では、売れない画家がひょんなことからスターダムにのし上がる様を体現する。自宅兼アトリエで一人創作活動に打ち込む場面がふんだんにあり、まずは堂本の一人芝居が堪能できるという意味で大変に見応えがある。
あらゆる虚飾を削ぎ落とした彼の一人芝居は、デッサン(素描)と呼ぶべきものあり、演技そのものがモノロームと化しており、しかし、これほど情報量が少ないにもかかわらず、滅法おもしろい。物言わず、なにかを描いていた者が、ふとあることに気づいたり、気づかなかったりする。ただそれだけのことに、私たちはなぜここまで興味を抱いてしまうのか。まなざしの好奇心を惹きつける術を堂本は熟知しているのだろう。
主人公は自身が描いた「まる」によって不条理にも翻弄されることになるが、かつてのように鋭い視線を可視化することはない。いくつかの場面では相手を睨んでもいいはずの瞬間が訪れる。しかし、しかしはそうはならない。その代わり、現在の彼ならではの熟成した表情を浮かべる。
それは、かつてとは比べものにならないくらい複雑で、多様で、深遠で、とりとめがなく、不思議な情緒をこぼれ落ちさせるが、堂本の芝居が依然として、己を見つめていることは特筆すべきである。
堂本剛自身が芸術家だけに破格の説得力がある物語だが、そのこと以上に、彼の演技の根本にある―自分自身をえぐる―手つきのありようにこそ、底なし沼の魅惑がある。
文/相田冬二
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