闇バイト、BL、ディープフェイク…大森時生が放つ「フィクショナル」、酒井善三監督が明かした黒沢清への憧憬
「“水滴”を口に含むことで、満たされない欲求を表現した」
本作はディープフェイクの脅威を描くスリラー的側面と同時に、主人公の神保が先輩である及川に対して淡い感情を抱いている、いわば“BL(=ボーイズラブ)ドラマ”としての側面も有している。
しかしながら、“BLドラマ”としてプロモーションがされると決まったのは、撮影が終了する直前のことだったという。「大森さんから内容に関しては一任されていたので、僕も作品の売り出しかたについてはすべてお任せすることにしました」と、大森へ厚い信頼を寄せる酒井監督。「当初からボーイズラブとしての要素は含まれていましたので、あらためてシナリオや演出を変える必要もありませんでしたから」。
先述のようにディープフェイクと、それを作りだす者によるサイコスリラーを描くにあたり、酒井監督のなかでは「男性を通して、エロティシズムを表現する」というヴィジョンが最初から存在していたという。「官能的でエロティックなもの。抗いがたい欲求をどのように描いていくか。エロティックという言葉を聞くと、裸体を見せたり触れ合ったりするイメージが持たれがちですが、可視化された露骨な表現はちっともエロティックではない。映像という見えるものだからこそ、エロティシズムは秘められたものであるべきだと感じていました」。
その言葉通り、劇中には神保から及川に向けられた好意を直接的に示す描写やセリフは存在せず、ただ両者のあいだにただよう空気感のみをもって、その秘められた感情が表現されていく。視線やごくわずかな所作。とりわけBUMPでの配信公開時に視聴者から大きな反響を集めていたのは、物語の序盤、及川の部屋で作業をしている神保が、及川から受け取ったコップから零れた水滴を舐めとるしぐさである。
「脚本の段階からすでにあったシーンです。リアリズムで言うと、『乾杯する時に手をあげたら水滴が落ちるのでは?』というところですが、そこは映画ならではの嘘っぱち、ご愛嬌です(笑)」と、反響の大きさに照れくさそうな表情を浮かべる酒井監督。「あのシーンで意図していたのは、2人の“再会の印”のようなものです。回想シーンが挟まれ、神保がそれを思い出しながら及川から受け取った水滴を口に含むことで、彼の満たされない欲求を表現しようと考えました」。
そのうえでヒントとなったのは、1940年代から1950年代にかけてハリウッドやフランスの、主に犯罪映画で取り入れられた“フィルムノワール”の様式美だという。「フィルムノワールには往々にして、男性を惑わす“ファム・ファタール”と呼ばれる女性が存在します。そのイメージを男性に置き換えてみたというだけ。男性同士だからこう描こうと決め打ちするのではなく、異性間でも成立するものを性別を変え、あくまでも内在する欲求として描写することに定めたのです」。
そして「“BLドラマ”として、フィルムノワールとして、さまざまな要素を取り入れていますが、そうした枠組みのなかに閉じ込めずにジャンルオーバーなものとして楽しんでいただきたいと思っています。なにもないシーンがないように、さまざまなディテールを入れています。一度観ておもしろいと感じていただけたら、二度目はまた違う視点で楽しんでもらえたらうれしいですね」と期待を寄せた。