アリ・アスター製作『ドリーム・シナリオ』、名優ニコラス・ケイジの“迷演”によって映し出された現代人の心理
容易には覆すことのできない、世間からの評判
とはいえ、本作はそんな状況に巻き込まれていくポールを、それほど同情的に描いているというわけでもない。そもそも夢を利用して世に出ようとしていたのはポール自身であり、不倫を望んでおきながら、自身は表面的に消極的な態度を崩そうとせずに相手にリードさせる卑怯な態度をとった事実があることも確かなのである。
家庭が崩壊しようとする事態に対して、ポールは謝罪動画を配信することで同情を引こうとするのだが、それはなんの効果もなかった。この悲痛かつユーモラスにも感じられる描写は、いったん広まった悪評を覆すのが難しいといった世の風潮を示しているとともに、そもそもポール自身が誠実な人間でないことも表現している。彼の言葉が響かないのは、その弁明が単に自身の境遇を憐憫し、保身を願うものでしかなかったためなのではないか。
お騒がせ俳優、ニコラス・ケイジだからこそ演じられた主人公像
そしてこの役柄を、ケイジが演じていることは興味深い。類まれな演技力で観客を魅了し、『リービング・ラスベガス』(95)でアカデミー賞主演男優賞を獲得したケイジは、『ザ・ロック』(96)や『フェイス/オフ』(97)などアクション大作でも活躍し、ハリウッドの大スターとして賞賛されるようになっていった。
だがその後、度重なる離婚や、泥酔やDV疑惑で逮捕されたり、さまざまな物件や高級車を買い漁るといった、プライベートでの行動も話題となる。彼が大金で購入したなかには、かつて数多くのアフリカ人奴隷を拷問し殺害された現場であり、現在は心霊スポットとしても知られるニューオーリンズの「マダム・ラローリーの邸宅」もあった。しかし、所有した不動産価値の暴落などの事情により彼は多額の借金を抱え、仕事が選べない状況へと陥ってしまう。これらの事柄により、ケイジはスキャンダルの多い俳優としても知られるようになる。
そんなイメージの失墜も影響し、これまで彼のエキセントリックな演技を面白がって編集した動画や画像がSNSに出回ったり、さまざまな「ネットミーム(インターネット上のジョーク)」のネタに利用される“象徴的”な俳優になってしまったところがある。そしてそれは、劇中のポールが経験したように、本人の望まない注目や嘲笑を生むこととなった。かく言う筆者もかつて、ケイジが自身のために購入したという大きなピラミッド型の墓をネタに絵を描いたことがあり、そんなミームの流れの一部となったことを、ここで打ち明けておく。
さらには、そんなネットミームの盛り上がりを利用して、彼の顔がプリントされたジョークグッズが販売されたり、日本でのプロモーショングッズがケイジ本人の許諾を得ていないことでトラブルとなったこともある。ポールの夢への登場がビジネスとして利用されるという展開も、そんな風潮の戯画化である部分もあるのではないか。このように、不特定多数の人々による賞賛と、笑いの的となるネットミーム化の経験を両方体験したケイジだからこそ、本作の役柄に大きな説得力が生まれることになったのだといえるだろう。
じつは、本作に類似した有名な「ディスマン」という都市伝説は、広告会社が仕掛けた「ゲリラマーケティング」だったことが明らかになっている。にもかかわらず、「自分もディスマンを見た」という声が世界規模で発生する事態となったのは示唆的だ。そういった大衆の習性を利用しさえすれば、人々に特定のイメージを与えることで、事実とは異なる方向に煽動したり、ある個人を攻撃させることも可能になってしまう。そしてそれは、SNSにおけるネガティブキャンペーンやデマの流布というかたちで、現実の社会問題となってしまっているように思える。
このような世の風潮を風刺しながらも、ボルグリ監督は、本作においては、とくに強いメッセージを発したり、具体的な改善策を用意しているわけではないようだ。あくまで、これがいまの社会の姿であり、人間の習性なのだということを、戯画化された構図を描くことで示しているに過ぎない。このような作品へのアプローチというのは、まさに「ストップ・メイキング・センス(意味付けなど、やめちまえ)」という境地なのかもしれない。それを受けて考えるのは、われわれ観客の側なのだ。
文/小野寺系