主人公はなにを“求めて”いた?『ムーンライト』『マネー・ショート 華麗なる大逆転』【小説家・榎本憲男の炉前散語】
小説家で、映画監督の榎本憲男氏。2011年に小説家デビューした榎本は、「エアー2.0」で第18回大藪春彦賞の候補となり、2024年にはその続編となる「エアー3.0」を発表。そのほかにも、著作には「サイケデリック・マウンテン」「巡査長 真行寺弘道」シリーズなどがあり、直近では、最新刊となる長編エンタテインメント「アガラ」が2月7日に発売された。そんな榎本のキャリアは、映画館勤務から始まった。銀座テアトル西友(現・銀座テアトルシネマ)や、テアトル新宿の支配人を経験し、映画プロデューサーや脚本家としても活躍。映画監督や俳優を養成する、ENBUゼミナールの脚本講座で教鞭もとる榎本は、公開当時大きな話題となった上田慎一郎監督の『カメラを止めるな!』(17)で、シナリオ指導を行ったことでも知られている。
小説家でありながら、映画業界への造詣も深い榎本が、思いつくままに、映画について様々な角度から読者に問いかけていく連載が、MOVIE WALKER PRESSにてスタート。第1回は、今後の連載の展望について触れながら、“映画のストーリー”に焦点を当てて語ってもらう。
「欲望と構造」でストーリーを読み解く
今回からはじまるこの連載では、ストーリーを中心に、映画についてあれこれ語っていきたいと思います。実は、かなり長きにわたって、コアな映画批評は、ストーリーについて語ることを避けがちでした。なぜかというと、ストーリーがそのまま映画ではない、ストーリーを語り、その映画をストーリーで解釈してしまうと、映画の豊かさが損なわれてしまうからだ、という考え方が支配的だったからです。理由はよくわかります。けれども、このような方針には副作用も多かった。ストーリーの意味をうまく汲み取れないときに、俳優論や監督論に逃げ込んでしまうという傾向を生んでしまったのです。たとえば、『ムーンライト』(16、バリー・ジェンキンス監督)についての評論は、僕が読んだ限りでは、アカデミー賞受賞作品であることや、俳優の演技などに集中し、その作品が語るストーリーの意味がいまひとつ紹介されていなかったように見受けられました。『マネー・ショート 華麗なる大逆転』(15、アダム・マッケイ監督)のエンディングは非常に画期的なものだと僕は唸ったのですが、誰もその点には触れず、脇役のブラッド・ピットについて論じたものが目につきました。このふたつの映画については、ストーリーの意味を摑めないままに書かれている紹介記事が多かったように記憶しています。そんなコラムがあってもよいとは思います。ただ、このコーナーではあえて愚直にストーリーを語ってみたいのです。特にストーリーが内包する二つの要素、欲望と構造になるべく焦点を当てて語りたいと思っています。
そもそも、ストーリーとはなにか
なぜ、欲望と構造なのか。これを説明するにはストーリーとはなにかということを話したほうがよいでしょう。ストーリー、物語、お話、これを厳密に区別する人もいるでしょうが、ここでは同じものだと思ってください。これらのほかにプロットと呼ばれるものがあります。プロットとストーリーはちがうとはよく言われますし、小説家E・M・フォースター(『ハワーズエンド』や『インドへの道』の原作者)の有名な解説もあるのですが、ストーリーの中にはプロットがいくつもあって束になっているというイメージでとりあえず理解しておいてください。
ではストーリーとはなにか?ストーリーは主人公の旅です。主人公は日常から旅立って非日常世界を旅し、ふたたび日常に戻ってくる。これがストーリーの基本的な構造です。つまりストーリーは<行って帰る>という構造を持つ。実は、行ったっきり帰ってこないヤバいものもあります。そんな例外についても、機会があれば話したいと思いますが、まずは<行って帰る>が基本だと考えてください。
どこに行ってどこに帰るのか?先ほどもすこし触れたように、日常から旅だって非日常な世界を彷徨い日常に帰還するのです。<日常⇒非日常⇒日常>のプロセスがストーリーです。つまり、いま僕は欲望と構造というふたつのうちの構造のほうを話していることになります。
1959年生まれ、和歌山県出身。小説家、映画監督、脚本家、元銀座テアトル西友・テアトル新宿支配人。2011年に小説家、映画監督としてデビュー。近著には、「アガラ」(朝日新聞出版)、「サイケデリック・マウンテン」(早川書房)、「エアー3.0」(小学館)などがある。「エアー2.0」では、第18回大藪春彦賞の候補に選ばれた。映画『カメラを止めるな!』(17)では、シナリオ指導として作品に携わっている。