【連載】『松本花奈の恋でも恋でも進まない。』第4回 「怒られるうちが花!」 だというのはよく分かるが
「DVD&動画配信でーた」にて好評連載中の、注目の現役女子大生映画監督・松本花奈による日々雑感エッセイ「松本花奈の恋でも恋でも進まない。」。第4回のテーマは「『怒られるうちが花!』だというのはよく分かるが」です。頭では分かっていても、怒られるのはやっぱり嫌なもの。松本監督は、この感情を“人類全員に共通した想いなのではないだろうか?”と考えながら、幼少期の記憶を紐解いてゆきます。
今さらながら、連載のテーマを定めたいと思う
甘ったれるな、と言われるのを覚悟で言うと、昔から怒られることがすごく怖い。
例えそれが見知った人であろうと、初対面の人であろうと、チクリと嫌味っぽい怒り方であろうと、大声をあげて怒鳴りつけられようと、何であっても怖い。冷静に分析をすると自分が悪いと反省してようがそうでなかろうが、いかなる場合においても怒られるのが怖いというのはつまり、嫌われるのが怖い≒自己承認欲求が低いということになるのだろうが、これがかなり厄介で生きづらいのだ。
そりゃ誰だって怒られるのは嫌だし、怒られるのが怖いからちゃんとやるかあ…面倒くさいけど怒られるもんなあ…という感情が世の中をここまで進化させてきたのだということは容易に想像はつく。
連載を始めさせていただいてこれで第4回目となる。徒然なるままに日々のことを書いてきたのだが、これまでの記事を読み返しているとまとまりがなくなってきたように思えたので、ここでこの連載に改めてテーマを定めたいと思う。いや、本当今さらかよということではあるのだがそこはご愛嬌ということで…。
で、何をテーマにするか、であるが“喜怒哀楽以外の感情”を毎回取り上げたいと思う。さまざまなものがデジタル化していくなかで、人間の感情ほど曖昧でグレーゾーンが多いものはないだろう。ただ喜ぶ・怒る・哀しむ・楽しむ以外のゾーンに生身の人間ならではの面白みが詰まっているのではないだろうかと。
ということで今回のテーマは「怒られたくない」という感情だ。というのも、第3回目の記事で台風の日のとある出来事として、とある人と揉めたことを書こうと思い若干予告をしていたのだが、これを公に書くと当人及び知り合いが見た時に特定され、怒られる可能性が浮かんできたので、やめた。まあ当然のことである。もっと早く気付けよという感じですね…ごめんなさい…ああ、怒られたくない。
そもそも人生で初めて怒られた時はいつだっただろう。
記憶にある限りだと遡ることおおよそ17年ほど前? 私が3~4歳の頃だ。その頃の私は何故か服を畳むことにハマっていて、ユニクロだとかに行くと店頭に並んでいる服をひたすら畳み(それも結構上手だった気がする)畳むものがなくなると次はボタンを外しては止めて、止めては外してを繰り返していた。
とある休日、父親と一緒に服屋に行き、私はまたいつものように洋服を整頓していたのだが、そんな私の前にジーッとひとつの服を見つめて動かないおじさんがいた。暫くした後、その人はまあ突然ながら動き出したのだが、あまりにそれまで微動だにしなかったのですっかりマネキンだと思い込んでいた私は「わ!あの人マネキンかと思ったら違うの?怖い!」と大声で近くにいた父親に報告をした。おじさんもチラッと私の方を振り返り、目が合った。
その後、私は父親にひどく叱られた。もう何と言われたかは覚えていないが、要するに失礼なことを言うな、という内容で、それはThe・怒られている、といった感じだった。すごい怒鳴られたなあ。
それから約17年が経った今でも、誰かに怒られると幼い時と同じようにもう嫌だ~と泣きたくなる。時には全然違う、何故ドーナツには穴があるものとないものがあるのだろう、とかいうことを考えて時が去るのを待ったりもする。
だからと言って別に怒られることに慣れたいだとか、自分が悪くても怒られない魔法にかかりたいだとかは思わないのだが…まだこの話、書き足りないので第5回目も続けてもいいですか。もう暫くお付き合いください。次は「怒られたい」話について、です。
次号も何卒。
今月のレンチンな一枚:ブルドッグお餅
10月31日でひとり暮らしを始めてちょうど1年が経ちましたが、初めの頃、電子レンジを買った直後にお餅をチンしてみたらブルドッグの皮膚のようになってしまいました(謎)。
●松本花奈プロフィール
1998年生まれ。中学生の頃より映像制作を始める。慶應義塾大学在学中。主な映画監督作は『脱脱脱脱17』(16)『過ぎて行け、延滞10代』(17)など。山戸結希企画&プロデュースのオムニバス映画『21世紀の女の子』(19年新春公開)の中の一編を手掛ける。AbemaRADIOチャンネルにて、パーソナリティを務める『二十代映画欲求』(毎週土曜12時~)が放送中。
文/松本花奈