『21世紀の女の子』の次なるタッグ作は、松本花奈プロデュース!? 山戸結希×松本花奈の相思相愛インタビュー【後編】
『溺れるナイフ』(16)の山戸結希監督が企画・プロデュースを手掛ける、総勢15名の新進映画監督が集結したオムニバス映画『21世紀の女の子』(絶賛公開中)。同じ想いを胸に、作品づくりを遂げた山戸監督と松本花奈監督の相思相愛インタビュー、後編をお届けします。すでに映画やテレビCM、MVなど多彩な映像メディアで作品を生んでいる2人の今後の野望から、「もし2人で作品を手掛けるとしたら?」の問いまでを、語ってもらいました。
「女性だからといってできないことは、なにもないんじゃないかな」(松本)
――『21世紀の女の子』は、ここにいる女の子たちが、いまこれからの21世紀を切り開くだろうと予感させる力強いパワーに満ちていました。すでに、商業ベースで評価を獲得し、それぞれの道を切り開いているお2人からすると、女性監督である意味や必要性をどのような場面で感じますか?
山戸「これはあえて言語化するならばなのですが、女の子が力強く生きてゆくための物語を、映画として撮ること、そのロールに対する人員は圧倒的に足りていない。数値としても。私がそれを撮ることで、未来の女の子が一人でも生きやすくなるならば、ゆらぎやすい地点で生きている命に向かって、映画を撮り続けたい」
松本「いまって、誰かが他人に対して『これをやっちゃダメ』というような縛りがないと思うんです。10代で女の子が映画を作りたいと思ったとしても、それは全然アリなものというか、自由にできる。だから、なににも左右されないですよね。女性だからできることや得意なことはあるかもしれないけれど――例えば髪型の細かいことに気づくとか(笑)。でも女性だからといってできないことは、なにもないんじゃないかなと思います」
――松本監督自身、14歳で映画制作を始めていますよね。まだ10代でHKT48の「キスは待つしかないのでしょうか?」のプロモーションビデオの監督にも抜擢されている。そうした年齢で、映画作家として注目されることはどう感じていたのでしょうか?
松本「中学生時代にカメラを持って映像を作り始めたと同時に、作っても観てもらえない作品、埋もれていく作品というのがたくさんあるんだという現実を知ったんです。これは、本当にせつないことだなと思って。それで、高校時代に長編映画を作った時に、当時少しだけ広告コピーを学んでいたので、キャッチーなものにするといいのかも、と考えたんです。それで、『脱脱脱脱17』というタイトルをつけて。そういうことと同じことなのかなと捉えているんですよね。20歳であることだとか、学生であるとかが、フックの一つになることはありなのかもしれない。それがきっかけになって観てもらえるなら、それでいいというか。もちろん、私自身がそれだけに頼るのはよくないと思うんですけど」
山戸「おっしゃる通りだと思います。宣伝時に注目される外側からの目線と、作家のまなざしによる表現は、商業装置によって本来的に独立している。特に映画は大きくなるほど外枠のプレッシャーが高まるので、それを内面化することなく作品と向き合うことが大切だと感じます。また、きっと松本監督は、中学時代から映画を撮り続けてきて、役者としてのキャリアもある。だからこそ、いま、やっと作品を多くの方々に観てもらえているという感覚をお持ちではないですか?」
松本「そうですね。自分の中では、‟やっと“なのかもしれないです」
山戸「もはや松本監督はすでに成熟されていて、私からみても、監督は年下だから…みたいな感情はまったくないです。それは、やはり10代に格闘する日々があったからこそなのだと思います。10代の頃の数ヶ月なんて、永遠のように長い。その日々を制作に注ぎ、自分の映画を観てもらうことをずっと願っていたのだとしたら…。そう想像した時、その永い時間が、松本監督と松本作品をここまで自立させ、成熟せしめたのだと気づかされます。年齢の上下はありますが、私からは、松本監督に対して、尊敬の気持ちしかありません」
松本「そう言っていただけるなんて恐れ多いです!本当に…」