写真家・石田真澄と松本花奈監督が“撮る”理由とは?記憶と記録を巡るトークセッション
注目の現役女子大生映画監督・松本花奈による、日々雑感エッセイ「松本花奈の恋でも恋でも進まない。」が、「DVD&動画配信でーた」で好評連載中。Movie Walkerの特別企画として、松本監督が”いま気になる人”に、質問を投げかけます。今回は連載第6回のテーマ “他者を撮ること” について、写真家の石田真澄と語り合った。
松本「先日まで放送されていた『平成物語』で石田さんにはスチールを撮ってもらいました。ビジュアルだけではなくて現場写真も沢山収めていただいたので、撮影期間中はほぼ毎日一緒にいたね…!」
石田「だね。普段は広告や雑誌の撮影をしているのでドラマの現場は新鮮でした。プロデューサー、監督、撮影、照明、録音、美術、衣装、ヘアメイク…などの大所帯のチームで動くというのは写真ではないことだし、ファッション誌とかだと特に女性のスタッフが多い印象があるけれど、映像の現場の方達は男性のほうが断然多くて、ロケ弁の炭水化物感がすごい!と思ったり(笑)、普段とは違う経験を味わえて楽しかったです。なにより『平成物語』のチームは本当に素敵な方ばかりでした」
松本「私もそれは感じています。あんなに呼吸が合うチームってほかにあるのかなってずっと思っていました。現場に行くのが毎日楽しみだった」
松本「撮影期間中にもいろいろな話をしたけど、今日は石田さんと『撮る』というテーマについて話したいなと思います」
石田「お願いします」
「大人になったら人生がつまらなくなる、と思っていました」
松本「石田さんが写真を始めたのはいつごろからですか?」
石田「写真に興味を持ち始めたのは中学生のころ。ガラケーを持ったことがキッカケでした。それまではカメラって運動会とか修学旅行とかでしか使わなかったけど、ガラケーを持ったことで、カメラを携帯出来ていつでも写真が撮れるようになったことがすごく楽しくて。でもその時は人ではなくて景色や食べ物を撮っていました。中学生とかだと皆、撮られることに恥ずかしさや抵抗があって、なかなか友達も被写体になってくれなかったんです。それで高校に入ってから一眼レフを買って、友達をこっそり撮るようになりました」
松本「こっそり、というのは…?」
石田「人を撮りたいという想いがだんだん出てきたのですが、カメラを構えて『こっち向いて〜、はい、チーズ』とすると、やっぱり皆多少身構えてしまうじゃないですか。良く映りたいという気持ちが無意識的に出てきてしまうというか。でも、私が人を撮りたいと思ったのは別にカメラ目線の皆の顔が見たいからという理由ではなかったので、あくまで自然体でいて欲しかったんです。だったら相手が気づかれない内に撮っちゃえ、と思って(笑)」
松本「なるほど。でもそれはいまの石田さんの撮る写真にも共通しているように感じます。映像だったら連続的に続いていくから感情を表すことはそう難しくはないけれど、写真だとどの瞬間にシャッターを押すかで全然印象が変わってくるような気がしていてその切り取り方が絶妙というか」
石田「そうですね。だからポートレート写真よりも、撮っていることに気づかれない写真のほうが好きなのかもしれません」
松本「私は元々石田さんの撮る写真がすごく好きで、ファンで。石田さんの写真に写っている方は皆、まったく気取っていないですよね。だから見ていると石田さんと被写体の方の2人だけの特別な時間をこっそり覗き見しているような感覚になるんです。実は2018年の頭にQUIET NOISEでやっていた『light years –光年–』の展示も見に来ていました。石田さんがいるのは分かっていながらも人見知りが発動して結局話しかけられずに帰ってしまったけれど…。『light years –光年–』には石田さんの女子校時代の思い出が写っていましたが、あの写真集を作ろうと思ったキッカケはなんでしたか?」
石田「中高一貫の女子校に通っていたんですけど、高校に上がる時、つまり6年間の内の3年間が終わった時に、あと3年間しかない…と思ったら無性に寂しくなりました。寂しいというのは別に友達と離れるのが嫌だ、とかいうわけではなくて”高校生”という肩書きから外されてしまう、ということが嫌で寂しかったんです。『中高生ってやっぱり無敵』だったり『中高生だから味わえることがある』というのを周りの大人から言われる機会が多かったので、じゃあ大人になったら人生ってつまらなくなるのか…という思考に陥ってしまって。体育の授業とかでクラスメート達が楽しそうにはしゃいでいる姿とかを見ると、『でもこの楽しい時間はあと3年で終わっちゃうんだぞ』『その楽しさはいつまでも続くものではないんだぞ』と思っていました。だからなのか、皆と一緒にただ楽しむということが出来なくなってしまって、その時の自分たちの存在が消えてしまうことへの恐怖感が強くあったので、だったら自分はその青春の渦中にいるのではなくて限りある瞬間を残しておきたい、記録しておきたいと思って写真を撮っていました」