写真家・石田真澄と松本花奈監督が“撮る”理由とは?記憶と記録を巡るトークセッション
「過去の楽しさと、いまの楽しさは種類が違うから比べちゃいけない」
松本「その感覚はすごく分かります。忘れられる、という能力は人間の良く出来ている能力である反面、せつない時もありますよね」
石田「完全に忘れはしなくても記憶が薄れていくのはやっぱり悲しいな、と思って。それは自分がフィルムで写真を撮る理由にもつながるところでもあります」
松本「というのは?」
石田「海外研修に行く機会があって、その時に”写ルンです”を持っていったんです。それに特に深い意味はなくて、私達の世代ってギリギリ小学生の遠足とかだと写ルンですを使っていたりしますよね。なんとなく一眼レフ以外のカメラを使ってみたくなったんです。でも、帰ってきてからも撮り終えられなくてなんだかんだ1か月近くかかって36枚撮って、現像に出しました。つまりその後手元に来る写真って、1か月前の記憶なわけですよ。で、それを見た時にその写真を撮った時の記憶が全部甦ってきました。例えば英単語とかって、日々繰り返し同じ単語を見ることで徐々に記憶に定着していきますよね。日を空けて何度も目にしてきたから私たちは『リンゴ=apple』とスッと出てくるわけで。その感覚と似ていて、焼きあがったネガを見た時に、記憶が全部甦ってきたことが、ちゃんと記憶が濃くなっているような気がして少し安心したんです。『あ、私まだちゃんと思い出せる。忘れていない』って。だからそれから写真はずっとフィルムで撮っています。ネガが上がってきて、過去の記憶を見ることで自分の中での記憶を濃くさせているような感覚です」
松本「過去のことって形に残らず曖昧としているからこそ、感情を整理しづらいなと思うことは多々あります。でも私たちには写真もそうだし、映像もだし記録出来るものがあって幸せだなとも思います」
石田「ですね。でも『light years –光年–』の写真集を作っていたのはちょうど大学一年生の夏〜秋にかけてだったのですが、当時は過去にすごく固執していました。この写真を撮っていた時はすごく楽しかったのにな、と思って比べてしまったりとか。でもいまはまたそこから変わっていて、楽しさの種類に気づけました。過去の楽しさと、いまの楽しさは種類が違うから比べちゃいけないんだろうし、変化を受け入れることが大切なんだなって」
「好きだから写真を撮りたいと思うし、好きだから雑誌を沢山読みたいと思う」
松本「石田さんとは好きなミュージックビデオやCMの趣味がものすごく合って、ここまで共通の話題が出来る人って、いままで周りに全然いなかったのですごくうれしかったです」
石田「『平成物語』の現場でも休憩中はもっぱらその話題で盛り上がっていたもんね(笑)」
松本「確かに(笑)」
石田「でもやっぱり一番は雑誌をすごく読んでいます」
松本「なるほど。なんか、いまの若い子って全然雑誌読まなくないですか…?」
石田「本当そうなんです。大学で広告の授業があるのですが、毎月なにかしらの雑誌を買っている人って私とあともう一人しかいなかったりして。90年代くらいの雑誌が一番活発だった時期に私達くらいの年齢だった人たちがいま、30〜40代とかでいまの雑誌業界を引っ張っていっているので、その方達の熱量はすごく強いものを感じる反面、いまの皆はInstagramが情報源となっていたりするから、その差はすごくある。そこは悲しいというか、熱量が届いていないのがもったいないと思うんです。だから元々私は雑誌の編集者になって、皆がもっと雑誌を読んでくれるようになるにはどうしたら良いかっていうことを考えるのも良いなと思っていました」
松本「元々はいまとは違う道も視野にあったのですね」
石田「はい。ただ、カメラマンもある意味でプランナー的な役割は非常に担っていると思いました。先日、『GIRL HOUYHNHNM』という媒体で高橋佳子さんを撮影したのですが、話をいただいた時に高橋さんを葛飾区の柴又で撮りたいと提案しました。高橋さんはこれまでどちらかというとハイブランドなお洋服のモデルさんをやられていることが多い印象があったのですが、だからこそ逆に普段とは違う、柴又で中華を食べていたりとか、そういう自然なところを切り取りたいなと思ったんです。そういう自由に自分の色が出せる撮影も結構多くて、そういうのをやっていると、これコンセプトもロケ地も自分がやりたいことを提案出来ているってことは、元々やりたいと思っていたプランナーに近いのかもしれないと感じました。もちろんケースバイケースではあるとは思いますが」
松本「あの写真、大好きです。高橋さんの中から撮られている、という意識が消えているように感じるんですよね。私には撮れない…」
石田「でも、写真の一番の特徴って、誰にでも撮れるところだと思うんですよね。例えばイラストとかだと、中々そうもいかない気がするんです。このコーヒーカップを書け、と言われても私は書けない。一定のレベルに達するまでのハードルがあると思うのですが写真ってそうじゃない。シャッターを押せば誰でも撮れますよね。撮ったらそこにあるものが映るから、第一ステップのハードルが低い。でもそれは良さでもあるけれど、写真を職業とする時にはすごく難しいと感じます。でも好きだから写真を撮りたいと思うし、好きだから雑誌を沢山読みたいと思う。それってすごくシンプルだけど、欠いてはいけない感情だと思うんです。だから私が写真を撮ることで、それが現代を生きる人たちが雑誌を目にするキッカケに少しでもなれば良いなと思います」
●石田真澄
1998年生まれ。2017年5月自身初の個展「GINGER ALE」を開催。2018年2月、初作品集「light years –光年–」をTISSUE PAPERSより刊行。雑誌や広告などで活動。
取材・文/松本花奈