吉田修一×綾野剛が白熱対談! 一瞬を永遠にする『楽園』はどこにある?
メジャー作品からインディペンデントな冒険的企画まで、日本映画を牽引する瀬々敬久が監督、脚本を手がけた『楽園』(10月18日公開)。芥川賞を始め、数々の賞に輝くベストセラー作家として知られる吉田修一の小説「犯罪小説集」のうち、2つの短編「青田Y字路」と「万屋善次郎」をもとにした衝撃のサスペンス大作である。
ある地方都市で、小学生の少女が失踪した。未解決のまま事件が迷宮入りしてゆくなか、時は流れて12年後、再び同じ場所の“Y字の分かれ道”で少女が行方不明になり、この2つの事件を結びつける容疑者として、近所に住んでいた素性の知れない青年が住民たちの疑念から追い詰められていく。
事件によって運命を狂わせていく青年、中村豪士(たけし)役を演じているのは、新作ごとに違う“貌”を見せる実力派俳優、綾野剛。吉田作品への出演は、沖田修一監督の『横道世之介』(13)、李相日監督の『怒り』(16)に続いてこれで3作目となるが、互いに「綾野くん」「修一さん」と呼ぶあう2人の対談がここに実現! 原作者と主演俳優という枠組みを超えた、“クリエイター同士”の言葉のやり取りをお届けするとしよう。
――まずは原作についてお聞きします。読む者に「人はなぜ、罪を犯すのか?」を深く省みさせる5つの短篇から成り、どれも過去に世を騒がせた現実の事件をモチーフにしていますが、単なる実録モノではありませんね。
吉田「執筆のとっかかりは実際にあった事件ですが、モデルとして出来事をなぞって小説にするのではなく、『犯罪によって人生が狂ってしまった人たちのことをもっと詳しく知りたい』という気持ち、その一心で書きあげました。これは、ほかの僕の作品にも言えるスタンスですね」
綾野「この小説の肌合いに対し、定点カメラかなにかで覗いているような、どこか冷たい印象を持たれた方も多いかと思うんですけど、僕はむしろ、修一さんならではの愛情や温もりを感じました。それは『犯罪小説集』に限らず、修一さんが書かれた作品は常にそうで、なぜならばその奥には、抜き差しならない怒りみたいなものがあって、合わせて伝わってくるから。愛ゆえの怒りがきっと、文章の鋭利な冷たさに繋がっているのではないかと考えています」
吉田「ありがとうございます」
綾野「実は今回は未読のまま、撮影現場にお守りのつもりで原作本を持っていったんです。2つがものすごく近いところにいて驚きました」
映画の中で豪士は“内股”で歩く。そのキャラクター上の特徴は、すでに原作に記されてあった。が、彼は脚本だけでこれを読み取ったのだ!改めて綾野の想像力と、役者としての嗅覚の鋭さに舌を巻く。一方の吉田も、比類なき“作家の眼”を有している。例えば「青田Y字路」は、実際の事件現場のY字路にあった杉の木の視点で書き始め、あとで全て、人間の視点へと置き換えたのだとか。
――吉田作品を特徴づける要素の一つに“場所”への強いこだわりがあると思います。“場所”と有機的に結びついた物語を生みだすプロセスについて教えてください。
吉田「ほかの作家の方々は執筆する際、全体のストーリーラインが浮かび、次に登場人物が生まれ、最後に舞台となる場所を探すという順番が主流らしいのですが、僕はまったく逆でして。興味の湧く、気になる“場所”の存在が最も重要で、それが定まると、自然とそこに立っている人たちが見えてくるんです。そうしてあとは『どうして彼ら、彼女らがその場所にいるのか』を探り、書いていくと、おのずと物語も形作られていくんですよね」
綾野「僕も一緒と言ったらおこがましいですが、ロケーションに接する感覚は同じです」
吉田「前にお話した時に、『“共演者”みたいな存在』だとおっしゃっていましたよね」
綾野「ええ。俳優にとって最終共演者であり、共犯者でもあるのがロケーションだと思っています。実際に立ってみて初めて役へのアプローチが決まる、と言っても過言ではありません。台本に書かれていることというのは、物語の構成だとかセリフの連なりだったりするわけですが、それをリアルに立体的に肉付けしてくれるのが“ロケーションの力”なんです」
吉田「そういえば、映画に出てくるあのY字路、初めて見たのは綾野くんが送ってくれたLINEの写真でした。豪士になった綾野くんがY字路のちょうど真ん中に立っているのを、引きの構図で収めていたのをいまでも覚えています」
綾野「そこに立った豪士を、修一さんにぜひ見ていただきたくて。Y字路と共に抜けるような空が印象的な写真で、空はすべてを目撃している…それも含めてお伝えしたかったんです」
吉田「目にした瞬間、ゾクッとしましたよ。場所もそうだし、豪士の人物像も一目で『これだ!』と」
綾野「場所が持つ引力ってすごいですよね。あのY字路に初めて向かった時、その土地がはらむ空気感といいますか、心が浸食されるなにかを感じて、立ってみると、いろんなものが僕のなかに入ってきました。本当に“共犯者”ですよね。場所が生みだしてしまう事件ってあって、その土地特有のにおいとか、藪の中からのぞくような不安定さなどにも禍々しさが表れて、場所が持つ力は時に、怖いなとも思います」