佐藤浩市、『Fukushima 50』で流した本物の涙「原発事故を、こんなに克明に描いた作品はなかった」

インタビュー

佐藤浩市、『Fukushima 50』で流した本物の涙「原発事故を、こんなに克明に描いた作品はなかった」

東日本大震災時の福島第一原発事故で、死を覚悟して制御作業にあたった地元福島出身の作業員たちを、世界のメディアは“Fukushima 50”と呼んだ。そんな彼らの苦闘を映画化した『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)(3月6日公開)で、主演を務めた佐藤浩市。佐藤を突き動かしたのは「事故の真実を後世に残したい」というある種の使命感だった。佐藤を直撃し、主人公の伊崎利夫役を通して体感した、震災での惨事とその傷跡、復興への想いについて話を聞いた。

原作は、門田隆将のノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」で、佐藤と、福島第一原発所長の吉田昌郎役を演じた渡辺謙を筆頭に、吉岡秀隆、緒形直人、火野正平、平田満、萩原聖人、佐野史郎、安田成美といった実力派俳優陣が集結し、『沈まぬ太陽』(09)の若松節朗監督がメガホンをとった。

「あれだけのことが起きたのに、僕も含めてこの国の人たちは事故についてあまりにも知らなさすぎるし、知ろうとしていない。とりあえず最悪の事態は免れたけれど、実はなぜ回避できたのか、なにもわかっちゃいないんです。だからこそ一度改めて考えてみようよと。そういう想いが僕のなかにありました」と、出演を決めた佐藤。

「作業員は、なにが起こるかわからない緊迫した状態で、そこにいなければいけなかった」

【写真を見る】佐藤浩市演じる伊崎が怒りをあらわに…迫真の熱演は必見
【写真を見る】佐藤浩市演じる伊崎が怒りをあらわに…迫真の熱演は必見[c]2020『Fukushima 50』製作委員会

冒頭から、マグニチュード9.0、最大震度7という巨大地震で起きた大津波が、福島第一原子力発電所(通称:イチエフ)を襲うという凄まじいシーンに思わず息を呑む。全電源を喪失し、メルトダウンの危機に瀕したイチエフを制御すべく、1・2号機当直長の伊崎利夫(佐藤)たち現場作業員は、決死の覚悟で作業にあたる。

「正直、被災された方々にとっては、きついシーンを目の当たりにさせることになります。いま、津波の映像を公共の電波で放送する時も『これから津波の映像が流れます』というテロップを入れなければいけないし、それぐらいメンタルに対するケアが必要なことです。ただ、その過去を知っている我々だけが観るというよりは、これから先、当時のことを知らない人たちに観てもらうために、どうしても必要なシーンでした」。

メインの舞台となる1・2号機中央制御室(中操)と、緊急時対策室(緊対)は、細部までリアリティを追求したセットが組まれ、俳優やスタッフ陣も、真実を伝えることに注力した。

「演じる身としては、少しでも彼らの気持ちをお客さんに伝えるために、なにができるのかということで、まずは原子力にまつわる資料を読みましたし、僕はほかの原発を見学させてもらう機会を得られたので、現地に行きました。ただ、僕たち俳優は、事故の結果をすでに知っているなかで演じるわけですが、当時の作業員の方々は、1分1秒、なにが起こるかわからない緊迫した状態でそこにいなければいけなかった。正直、その人たちの気持ちを100%分かると言うのはおこがましいし、無理だとは思いました」。

「あの時、あの場にいた皆が同じ気持ちだったと思います」

メルトダウンの危機に瀕したイチエフを制御すべく、現場作業員は、決死の覚悟で作業に当たる
メルトダウンの危機に瀕したイチエフを制御すべく、現場作業員は、決死の覚悟で作業に当たる[c]2020『Fukushima 50』製作委員会

若松監督は、中操にいる佐藤と、緊対に待機する指揮官の吉田役を演じた渡辺が、役柄さながらのリーダーシップを発揮してくれたと舞台挨拶で感謝していた。撮影は時系列に沿って順撮りで行われたので、ワンチームの一体感はもちろん、連日、暗闇に防護服という過酷な撮影によって、俳優陣の表情にリアルな疲労感と苦悩がにじみ出たのは、若松監督のねらいどおりだ。佐藤たちは、心身共に追い込まれていくなかで、いろいろなことを自問自答していったそうだ。

「なぜ、彼らは残って作業にあたったのか?国の肩越しに故郷や家族を見ていたのか、それともその逆だったのか、どっちなんだろうと、皆で考えながら撮影に臨んでいたけれど、途中から必死すぎて、どうでもよくなっていきました。間違いなく、ここにいられるのは自分たちしかいないし、これ以上やれることはなにもないかもしれないけど、ただそこにいること。とにかく線量の計器を見ること。それだけでした」。

やがて、原子炉格納容器の圧力が上がり、爆発するかもしれないという未曾有の危機に瀕し、伊崎たち作業員に、手動で圧力を抜く、ベントという命懸けのミッションが下る。そこで「誰か、俺と一緒に行ってくれないか」と手を挙げるのが伊崎だ。

実際に伊崎は、その後、部下とのやりとりで涙を流すが、その涙もリアルにあふれでたものだったそうだ。「あの時、あの場にいた皆が、同じような気持ちだったと思います」という表情からは、全員が一蓮托生で挑んだことがうかがえた。

「実際にこんな怖さがあったんだと、僕自身も含めて知ることができました」

「事故の真実を後世に残したい」と語った
「事故の真実を後世に残したい」と語った撮影/黒羽政士

そんな闘いを終え、故郷を守ったFukushima 50たち。帰還困難区域で撮影した満開の桜のシーンが多くのものを訴えかける。「いろいろな意見もあったなかで、最後に桜が出てきてもいいんじゃないかという話になりました。撮影は1月いっぱいで終わり、いまのご時世、桜はCGでも作れるんですが、そこはちょっと待てと。これは本物でやろう、という意見が誰からともなく出てきました。そして、福島の桜にしようというなかで、まだ帰還困難地域である富岡町の桜を撮ることが決まったんです」。

まさに、映画の最後を締めくくるにふさわしいシーンとなったのではないだろうか。「桜は、人間のために咲いているわけじゃなく、自分たちのために咲いていますが、人は勝手に自分たちの想いを馳せます。それは、刹那的な美しさや希望だったりするわけです。でも人間はそうやって考えられるし、苦しみをなにかに転換したり、明日に向かって希望を持てたりする。そこが人間のすばらしさだと思うし、そういうことを最後に伝えたかったです」。

この件で、追記しておきたいのが、ロケを敢行した富岡町の宮本皓一町長の言葉だ。佐藤たちが富岡町役場を表敬訪問した際に「この映画を、私たちが生き証人として後世に伝えていくために、撮影許可を出したというよりはこちらからお願いしたいという気持ちでいっぱいでした。町としてもみんなに観ていただけるようにPRしていきたい」と、エールを贈ってくれたそうだ。

本作について佐藤は「背景として震災を描く物語は多く作られたけれど、この原発事故にここまで踏み込み、あの時、実際になにがあったのかを克明に描く作品はなかったと思う。映画を観れば、実際にこんな怖さがあったんだと、僕自身も含めて知ることができるんです。そこにこそ本作を作った意味があると思っています」。

佐藤の言うとおり、『Fukushima 50』は、いまを生きる多くの人々に観てほしい作品であると同時に、未来に残したい映画でもあると、心から賛同したい。

取材・文/山崎 伸子


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