豊島圭介監督、渾身のドキュメンタリーで「初めて東大を出たことが役に立ちました」
1人対1000人超えの血気盛んな学生たち。1969年5月13日、日本を代表する世界的なその作家は文字どおり単身で、“敵地”と化した母校・東京大学の駒場キャンパス900番教室へと向かった。そこで行われようとしていたのはまさに決闘、「言葉による苛烈な殴り合い」であったーー。
豊島圭介監督の新作『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』(公開中)は、TBSが長らく保管していたこの日の貴重なアーカイブ映像をふんだんに使い、さらに13人の証言者の声と合わせて、歴史に残る“伝説の討論会”を現代の目で紐解いてゆく刺激的なドキュメンタリーだ。
1971年生まれの豊島監督、実は三島由紀夫の後輩にあたる。
「これまで様々なジャンル、アイドル映画からホラーまでいろいろ手がけてきましたが、初めて東大を出たことが役に立ちましたね。900番教室の撮影許可も、同級生が教員をやっている関係でスムーズに取れましたし、インタビューに応じてくださった元東大全共闘の方々も『そうか、後輩か』と迎えてくれましたし」
戦後日本を象徴する“巨星の肖像”に改めて挑み、自らインタビュアーとなってツワモノたちと対峙した豊島監督だが、「自分は三島文学の良き読者ではなかった」と告白する。
「どちらかというと、三島が書き散らかした通俗的な小説が好きなんですね。例えば吉田大八監督が映画化した『美しい星』(17)は愛読書でした。つまり三島由紀夫の思想のコアな部分には疎くて、ほぼゼロから勉強しなければならなかったんです。有名な『文化防衛論』や政治的なエッセイもこのタイミングで読んだんですから。で、数ある評伝にも目を通したのですが、『三島はなぜ自決したのか』という観点からその半生を捉えたものが多かった。まあ、インパクトがあり過ぎた事件ゆえに、そうせざるを得ない強制力が働いたのだと思います。では自分はどうするか。誰もが囚われる“死の謎”を追いかけるのではなく、討論会の場で生き生きと輝いている三島由紀夫に着目してみたら、新たな“像”が見えてきた。よし、これで行こうと。死ではなく『生なる三島』というテーマの立て方はもしかしたら、僕のような“遅れてきた世代”だからできたのでは、と自負するところもありますね」
作家活動だけでなく、マスメディアを遊泳し、カルチャー界のスーパースターでもあった三島。もちろん、映画との関わりもとても深い。
「まず原作者として、いくつもの小説が映画化されました。それから、俳優への挑戦も! 大学時代の同級生だった増村保造監督のもと、主役も務めた『からっ風野郎』(60)を皮切りに、自らの短編を題材にして製作、監督、脚色、主演を兼ねた『憂國』(66)、剥製化された男の役でゲスト出演した『黒蜥蜴』(68)、さらに時代劇『人斬り』(69)では勝新太郎や石原裕次郎と共演し、見事な殺陣も披露しています。この中で公開時、一番センセーショナルな話題を集めた『憂國』は、今回の映画が完成してから観ました。これら4作品で三島は皆、死を体現しているのですが、特に『憂國』は実人生と同じく制服姿で切腹をするシーンがあって、何らかの影響を受けてしまうと感じたので。僕ら、遅れてきた世代は“三島由紀夫”というと、ちょっとキッチュな人のイメージがあるんですね。細江英公さんが撮られた耽美的な写真集『薔薇刑』にしてもそうだし、まるで天知茂主演のTVドラマ『江戸川乱歩シリーズ』の世界の住人のような存在(笑)。ですから、900番教室の討論会での真摯にして清々しい多面体の三島の姿は振り幅が大きく、新鮮で、この映像の持つ意味はとてつもなく大きいものだと思っています」
映画には当日の討論会を企画、司会も務めた東大教養学部の木村修氏を筆頭に、ドキュメンタリーにもかかわらずキャラの立った、“劇的”な人物が次々と登場する。とりわけ異彩を放っているのが壇上に立つ三島のすぐ近く、熱弁ふるう彼の目線の端に、乳飲み子を肩車しながらヌッと現れ、対等に論戦を交わし始める男。当時から前衛演劇のカリスマとして知られ、東大全共闘随一の論客と呼ばれた芥正彦氏だ。
「去年の7月くらいから証言者の方々への取材をスタートしたのですが、最後が芥さんでした。今も醸し出す雰囲気は全く変わらず、まるで“ラスボス”みたいでしたね(笑)。芥さんは僕らとは別の感覚、認識回路で生きている気がしました。すなわち、頭から足の先まで“演劇の人”で、一方の三島由紀夫も実は戯曲をたくさん生み出したばかりか、自らをアクトし続けた“演劇の人”でもあったわけで、二人のやりとりは劇的空間に包まれ、壇上も900番教室も劇場と捉えている感じがすごくした。三島の去り際がまた素晴らしいんですよ。非常に魅力的。この当時の日本人は“画”になりますねえ。ひとりひとりが社会参加している意識というのか、『自分の行動で国が動くかも』といった連動を信じ、みんながみんな、物語を背負っている強さがある」
13人の証言者は伝説の舞台、900番教室にいた人たちだけでなく、三島文学に造詣が深く、その後継者とも言われている小説家・平野啓一郎氏や、全共闘運動後に東大へ入学した思想家、三島由紀夫への言及も多い内田樹氏なども選ばれている。
「セレクトは僕ひとりではなくプロデューサーからのアドバイスもあり、あの現場にいらした方々に真実を語ってもらうのと同時に、ある種、現代から解説者的な役割を担っていただこうと。内田樹さんは『街場の天皇論』という著書を出されていて、この討論会のことをあとがきに書いているとプロデューサーに教えてもらったんです。平野さんは今年45歳になり、三島が死んだ年齢になられる。三島由紀夫論をお書きになられるらしいですが、13人の証言者の方々はいずれも『三島に出会って人生が変わってしまった人たち』であることは間違いありません」
未体験の時代へと飛び込んだ豊島監督は“遅れてきた世代”のハンディを背負いつつ、どの先達に対しても怯むことなく、時には直球の質問を投じた。終盤、芥正彦氏へ「全共闘運動の敗北」について訊く場面は空気がギュッと緊迫し、そこに思いもよらぬ言葉が返ってくる。その言葉は、あえて伏せておく。
「不思議な言い回しなんですよね。正確な意味は掴めませんでしたけれども、まさしく芥さんしか口にできないレトリックで、最高だなと思いました。インタビューを4時間試み、途中、こちらの不勉強に飽きられ怒られ、心が折れながら、最後の最後にあのフレーズが飛び出した。のちに完成作をご覧になっていただいたのですが、このときもめちゃくちゃ怖かったです。芥さんだけでなく、当事者の方々がどう感じるか……。先に木村さんが観てくださり、興奮しながら『良かった』と。芥さんは『ようやく三島の弔いができた感じがした』と述べられ、胸の奥が熱くなりました」
本作で豊島監督は、“伝説の討論会”の全貌を明らかにしていく。敵対関係にあった三島と学生たち。しかし「言葉による苛烈な殴り合い」は、単なる憎悪のぶつけ合いには終わらない。そこでもまた、三島由紀夫の“多面体”に触れることができる。
「50年前を振り返って、すでに三島が論じていた『天皇制にどう向き合うべきか』『憲法をどうするべきなのか』といった問いかけも重要ですが、それ以上に相手を尊重し、言葉を尽くす彼の姿勢に僕は打たれました。今ってよく、ツイッター上で顔を出さずに匿名で、罵詈雑言をぶつけ合っているじゃないですか。あれは醜悪極まりない。どんな場でもちゃんと名乗って正々堂々、たとえ立場が真逆だとしても言葉を交わしあう、その潔さをぜひ感じてほしいです」
取材・文/轟夕起夫