トニー・レオン、ウォン・カーウァイに初めて「もう無理!」と訴える
アジアが誇るトップスターのトニー・レオンが、47歳でカンフーに初挑戦した『グランド・マスター』(公開中)。本作は『2046』(04)以来、9年ぶりにウォン・カーウァイ監督とタッグを組んだ期待作だが、本作のポスタービジュアルにもある、雨の中の格闘シーンは「自分の映画人生において、一番過酷なシーンだった」と激白する。何と彼は、監督に初めて「もう無理!」と口に出して訴えたそうだ。トニーにいったい何が起こったのか?来日した彼にインタビューし、もはや苦行の域に達したような撮影現場について話を聞いた。
彼が演じたのは、ブルース・リーの師匠と言われるイップ・マン役。本作では、中国武術の武闘家たちの壮絶な戦いと、彼らを取り巻く人間ドラマに心を揺さぶられる。トニーとカーウァイ監督と言えば、『欲望の翼』(90)以来、20年間に渡って何本もタッグ作を放ってきた盟友だが、監督に対してトニーが本気で白旗を揚げたのは、今回が初めてだったのだ。その雨のシーンは、10月の極寒の中国ロケのことである。
「雨に濡れ、寒い中、一人で何十人もの敵と戦わなければいけないシーンだった。19時から翌朝7時まで、夜を徹したロケが50日間続いたんだ。もちろん、現場で火をたくけど、夜食を食べた後くらいからガタガタ震え出す。水を被ったまま朝までいたらどれだけ寒いかわかるよね。寒すぎて筋肉が硬くなり、怪我もしやすくなるんだ」。
しかも、長回しで何テークも撮るというすさまじい現場だったという。「劇中では短いシーンだが、実は、通りの一番端から端まで、ずっと戦い続けたよ。マスターショットを撮ったら、その後で寄りのアングルも撮っていく。一晩に少なくとも200テークは撮ったよ。しかも、1つのテークが長いから、間違えたら最初から撮り直し。30日を過ぎた辺りで、『もう無理!』と言ったけど、監督は『わかった、わかった』と言うだけ。その頃から毎日薬を飲みながら、騙し騙しやっていたけど、撮影が終わったら気管支炎で5日間入院することになったんだ」。
ちなみに、カーウァイ監督に対して、怒りをあらわにしたりはしないのか?と尋ねると、「それはできない。現場にはたくさんの人がいるし、他にも大変な人はいるわけだから。でも、まあ仕方がない。これはウォン・カーウァイの作品だから。見せ場の戦いのシーンを、彼がごく普通に撮るはずがないんだから。それに大変だったけど、撮り終わると、僕は忘れてしまうタイプなんだ(笑)」。
トニーは、準備期間に1年、撮影期間に3年を本作に費やした。「たとえば、本作を3ヶ月で撮ったとしたら、すごく浅い映画になったと思うし、武術家としての魂が映像に出なかったかもしれない。僕の場合、4年間かけてカンフーを学び、いろんな方面の本を読みあさったし、撮影の過程でも紆余曲折を経た。でも、俳優にとって、それは決して無駄な時間ではなかった。いろんなことを学べたし、いろんなことを経験できた素晴らしい時間だった」。
本作のグランド・マスター(宗師)とは、ただ単に修練を重ねたカンフーの達人ではなく、心技一体を極めて頂点に立った者のことを言う。本作の撮影で想像を絶するような苦行を乗り越えたトニー・レオンからは、まさにグランド・マスターの風格が漂っていた。【取材・文/山崎伸子】