大林宣彦監督が語る薬師丸ひろ子&原田知世との思い出「角川映画は僕の青春」

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大林宣彦監督が語る薬師丸ひろ子&原田知世との思い出「角川映画は僕の青春」

角川映画48本を上映する角川映画祭を開催中の角川シネマ新宿で8月13日にトークショーが行われ、大林宣彦監督が登壇。「角川映画は僕にとっての青春」と熱を込めた大林監督が、「いつかおばあちゃんになった知世と映画を撮ります」と『時をかける少女』の原田知世との再タッグを願った。

『ねらわれた学園』(81)では、薬師丸ひろ子を主演に映画を撮り上げた大林監督。「キャメラのすぐ横に立って、『僕の顔を見て芝居しなさい』と言った。それを映画館で上映するとみんな『ひろ子ちゃんが僕を見ている』と思う。これが映画の面白さね。ひろ子ちゃんは大アイドルになった」と観客の心を打った秘訣を告白。

さらに「その後、相米慎二が『女優に育て直す』とやったのがこれ。あいつは大天才だから」と相米監督の才能を絶賛しつつ、『セーラー服と機関銃』(81)について言及。「僕が(薬師丸を)アイドルにして、相米慎二が女優として育て上げた。こんな傷なんて作っちゃって。こんなこと相米じゃなきゃできないよ」と撮影時に薬師丸の頬についた傷について、「相米監督ならでは」と話すと会場からも笑いが起こっていた。

その後、83年に『時をかける少女』が公開となる。当時は「ショーケン(萩原健一)やひろ子のような“猫背タイプ”がリアリティのある時代だった」というが、「知世ちゃんはスッと立っている。昔のジュディ・ガーランドとかあの時代のハリウッド女優のように姿勢がいい」とヒロインの原田は稀有な存在だったという。

『時をかける少女』を「あの時代とはズレにズレた映画だった」と表したものの、「いつの時代にも少年の中には清純な心がある。古典的で、大正ロマンチシズムや明治の時代のように作れば、今の子も振り向いてくれるという確信があった」と時代を超えて愛される普遍性について思いを明かしていた。

40周年を迎えた角川映画だが、「ひろ子ちゃん、知世ちゃん、(渡辺)典子ちゃんというアイドルを開発した。そこに若き作家たちを起用した。角川がなかったら、今の日本映画はないと言えるくらい」とその功績を称えた大林監督。「角川映画や僕たちが一番大事にしたのは、表現の自由。テンでバラバラ、混沌としたように見えるけれど、そこには表現者の自由があった。未来を信じる熱気があった」とパワフルなラインナップに思いを馳せていた。【取材・文/成田おり枝】