【シッチェス・カタロニア国際映画祭】『シン・ゴジラ』の海外進出を阻みかねない2つの障壁

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【シッチェス・カタロニア国際映画祭】『シン・ゴジラ』の海外進出を阻みかねない2つの障壁

日本で大ヒット中だが、海外で成功するのは難しいかも――。スペインのシッチェス、国際ファンタスティック映画祭の2日目(10月8日)に上映された『シン・ゴジラ』での観客の反応を見てそう思った。

『シン・ゴジラ』の主役は人間、ゴジラではない。だから、現代の日本人や日本社会への理解がなければこの作品は楽しめない。そもそも、映画でも小説でも舞台となる地域や人の事情に疎いと十分には味わえないものなのだが、『シン・ゴジラ』の場合、スペイン人たちはお馴染みの怪獣映画だという先入観で来ているから、特に面食った度合いが大きかったようだ。

彼らにとっての最初のショックは言語の壁ではなかったか。

映画祭では、3カ国語(英語、スペイン語、カタルーニャ語)字幕で上映されたが、政府の会議シーンに象徴される、日本語で聞いていても追い掛けるのが大変なおびただしい情報(肩書や部署名、お役所言葉など)の字幕が画面に入り切らないし、入っても読むスピードが追い着かない。結果的に彼らの多くが取り残され、「理解できなかった」、「退屈だからカットすべき」という感想になっていた。

日本人からすると、本会議の前に事前会議が要るという官僚主義が初期対応を遅らせるという部分には苦々しい経験があり、そこを徹底的に描写する批判精神が痛快なくらいなのだが、そんな事情をあずかり知らないこっちのお客は「会議はいいから、もっとゴジラを見せてくれ」となるわけだ。

ゴジラは破壊と放射能汚染の限りを尽くしたと思うし、洪水で溺死し瓦礫の下で埋まった人が何人いるのかと想像すると胸が痛くなったのだが、スペイン人にすればもっと派手にやってよ、となる。

当然である。彼らはゴジラの大暴れを見に来ている。ウルトラマンと怪獣が戦っている時、下敷きになった建物に住んでいる人のことを私たちが想像もせず、悲しみもしなかったのと同じである。

こういう破壊行為と被害者へのナイーブさの違いが、外国人にとっては2つ目の壁になるだろう。

ゴジラの破壊力に恐怖を感じ、もう壊すなと願っていたのは、あの会場で私くらいではなかったか。2011年3月11日に起こったことがこの映画に大きな影響を与えたことを情報としては知り得ても、感情移入の仕方まで変えることは異国の観客には無理だろう。

逆に、スペインでの上映だからこそ受けたシーンが2つあった。

1つは買い物に行きたがる登場人物が「ザラはどこ?」と聞く場面。日本に進出している衣料ブランド、ザラ(Zara)はスペインの企業だ。もう1つは、政治家の責任を取り方は辞めること、と主人公が言い放つクライマックスに近いシーンなのだが、ここで会場からは失笑が漏れた。

といっても、笑われたのは日本人の生真面目さの方ではなく、スペインの汚職政治家の方だ。

友人たちはよく私にこぼす。「スペインの政治家は駄目だ。日本人のように辞めて責任を取るという発想がない」と。日本にだって不祥事発覚後もポストにしがみつく厚顔無恥の政治家はいるが、スペイン人たちの我われの去り際の潔さを美化してくれている。死によって詫びるという侍映画の切腹シーンをさんざん見てきたせいもあるのかもしれない。そんな日本人像を『シン・ゴジラ』は図らずも再認識させたことになる。 

怪獣対怪獣が取っ組み合いをするような映画を期待していた人たちは、明らかに落胆していた。しかしそんな映画だったら、私もスペイン人観客の反応を見ようとは思わなかった。【取材・文/木村浩嗣】

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