裸足の伯爵夫人:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
裸足の伯爵夫人
裸足の伯爵夫人
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裸足の伯爵夫人

1954年11月11日公開
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「ジュリアス・シーザー(1953)」のジョセフ・L・マンキーウィッツが主宰するフィガロ・プロの第1回作品である。マンキーウィッツ自身が脚本を書き下ろし監督にあたったもので、テクニカラー色彩の撮影は「バラントレイ卿」のジャック・カーディフ、音楽は「O・K・ネロ」のマリオ・ナシンベーネ。「麗しのサブリナ」のハンフリー・ボガート、「円卓の騎士」のエヴァ・ガードナー、「ジュリアス・シーザー(1953)」のエドモンド・オブライエン、「路上の夜」のマリウス・ゴーリング、「女の獄舎」のヴァレンティナ・コルテーゼ、「噴火山の女」のロッサノ・ブラッツィ、エリザベス・セラーズ、ウォーレン・スティーヴンスなどが出演する。

ストーリー

有名な映画女優でかつ伯爵夫人の葬儀が北伊ラパロ近くの墓地でとり行われた。参列した映画監督ハリー・ドーズ(ハンフリー・ボガート)が彼女の数奇な生涯を回想する。ー―3年前、不調でくさっていたハリーは、映画製作にのり出したテキサスの大地主カーク・エドワーズに雇われて新作の脚本監督をすることになり、カークや宣伝担当のオスカー(エドモンド・オブライエン)などとともにヨーロッパへスター探しに出た。マドリッドの小さなキャバレで踊っていたマリア・ヴァルガス(エヴァ・ガードナー)が彼らの目に止まり、マリア・ダマタと名づけられ、早速第1作の撮影が始められた。処女作は成功だった。その直後、マリアの父が母を殺した事件が起こり、カークやオスカーはマリアにはこの事件を伏せておこうとしたが、そのときマリアはすでに父の弁護のためマドリッドへ向かっていた。証人台に立ったマリアは母の非行をつつまず語り、父の正当防衛は立証された。世界中はこの彼女の態度に好意を寄せ、法廷を去るときはもう世界的な大スターになっていた。続く2作品はいっそうの成功を収め、ハリーとマリアの名は世界にとどろいた。だが2人の間は深い友情のままでとどまっていた。ビヴァリー・ヒルズのマリア邸で催されたパーティで、主賓の南米の億万長者アルフベルト・ブラヴィーノがマリアに食指を動かし、、リヴィエラで彼が催すヨット・パーティに招待した。マリアはここでヴィンチェンツォ・トルラト・ファブリニ伯爵(ロッサノ・ブラッツィ)と知り合った。すでに伯爵は、リヴィエラへ来る途中のマリアが、途中ジプシーの群れに混って奔放に踊っているところを見ていたのだった。マリアは伯爵邸に滞在し、ついに結婚した。近くの村へロケイションに来ていたハリーはこの結婚に反対だった。数カ月後マリアがハリーのホテルを訪れ、結婚式の夜の出来ごとを告白した。寝室を訪れた伯爵は、戦傷によって不具となった診断書を彼女に見せたのだった。しかも、マリアは今妊娠しているといい残して帰っていった。不安を感じたハリーが後を追って伯爵邸へ行くと、2発の銃声が聞こえた。そして奥の方からマリアの死体を抱えた伯爵が現れ、不義者は両方とも成敗したと告げた。―回想が終わる頃、葬儀も終わった。伯爵は墓場から警察へ引かれていった。

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作品データ

原題
The Barefoot Contessa
製作年
1954年
製作国
アメリカ
配給
UA日本支社=松竹
初公開日
1954年11月11日
製作会社
UA映画


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