小松菜奈が語る、菅田将暉と紡いだ絆の“糸”。「なにが起こっても大丈夫」
「いい出会いがあってこそ、いまがある」
「人は出会うべくして、出会う人と出会う」という運命の糸については、小松自身も信じており、いつもそのことを実感しているそうだ。
「役者の仕事をやっていて思うのは、共演者の方やスタッフさんたちが、全員同じ面子で再び揃うということは二度とないということ。そう考えると、本当にいま、この年齢で、出会うべくして出会えた人たちだったんだなとすごく思います。
例えば『溺れるナイフ』も、20代後半だと、絶対にキャスティングされない作品だったと思うし、10代と20代では、自分の経験値も全然違うから、いまあの演技をやれと言われたら、たぶんもうできないと思います。だから、あの瞬間を切り取って残してもらえて、それがこの先も残り続けていくというこの仕事は、すごくすてきだなと思いました」。
漣と葵の人生が、平成という時代の変遷と共に描かれていく本作。平成生まれの小松に、人生の一大大事件について尋ねると「やっぱり、女優業を始めたことです」とキッパリ答える。
「それ以上の事件はないですね。女優業に出会わせてもらったのが2014年、中島哲也監督の『渇き。』でしたが、あの時、私を見つけてもらえたからこそ、いまがあるんだと思います。それは自分の人生において、すごく衝撃的な出会いでした。当時はなんとなく美容師になれたらいいなと思っていたくらいで、まだ自分の将来像がふわふわとしていたんです。そんななか、『渇き。』に出演して、覚悟が決まりました」。
その後、様々な現場を経て、芝居に感じるおもしろさも変わっていったそうだ。
「『溺れるナイフ』のころは自分のことだけで精一杯で、周りが見えなさすぎでした。いまも100%見えているわけではないですが、あのころに比べると、周りの意見を聞く余裕ができましたし、こうしたいという目標も強くなってきた気がします。コミュニケーションの大切さや、役に対してのアプローチの仕方も段々と変わってきましたが、それは現場でほかの役者さんやスタッフさんから学ぶことが多かったからです。いい出会いがあってこそ、いまがあるなと思います」。
取材・文/山崎伸子