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“映画音響”の歴史と進化…『SW』に『地獄の黙示録』、『ジュラシック・パーク』の音はこうして作られた

コラム

“映画音響”の歴史と進化…『SW』に『地獄の黙示録』、『ジュラシック・パーク』の音はこうして作られた

映画に“音”が登場し、音響編集の概念が生まれる

映画が誕生した時は、映像と音を同時に収録することはできず、劇場ではスクリーンの後ろで人がセリフを話し、オーケストラによる演奏で効果音も再現されていた。最初に映画に音がついたのは、1926年製作の『ドン・ファン』で、映像とは別録の音声トラックが映写機に接続され、映写と同時に流す形で上映。そして、1927年に登場した初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』では、映像と音の同時収録が実現し、スクリーンから流れる声や歌に観客は夢中になった。

『ブロークバック・マウンテン』(05)でアン・リーは、風の音に意味を持たせようとした
『ブロークバック・マウンテン』(05)でアン・リーは、風の音に意味を持たせようとした[c] 2019 Ain't Heard Nothin' Yet Corp.All Rights Reserved.

音の収録により、当時の製作者たちは効果音の重要性に気づき、マイクでは拾うことのできない音を作りだし、映像に追加する音響編集という考えが生まれる。その先駆けとなったのが『キング・コング』(33)で、動物園の猛獣たちのうなり声を録音し、それを加工することで架空の動物たちの鳴き声が作られた。
技術が進化する一方で、音響における創造性や芸術性も高められていく。オーソン・ウェルズはその代表作『市民ケーン』(41)でラジオドラマの技術を転用。反響音をうまく利用することで、物語に奥行きを持たせることに成功している。サスペンス映画の旗手、アルフレッド・ヒッチコックも音の使い方に着目した映像作家の一人。息づかいや鳥の衝突音を効果的に使った『鳥』(73)など、自ら効果音の指示を行い、緊迫感や臨場感を創出してきた。

音響システムの進化に着目した俳優や監督たち

音響システムの変化も映画音響に革命をもたらしている。1970年代に入っても、映画館では30年代と同じ、スクリーンの後ろにスピーカーを設置し、単一の信号音源を出力するMONO方式が一般的だった。当時、音楽業界では2か所のスピーカーから包み込むように音を出すステレオが広まっており、これを映画館にも流用しようとする動きがあるなか、70年代にドルビーが映画業界に参入。この動きをいち早く察知したのが、『スター誕生』(76)で製作総指揮と主演を務めたバーブラ・ストライサンドだ。本作でのステレオ上映を熱望する彼女は、ステレオ方式に懐疑的だったスタジオの重役を作品の出来栄えによって説得することに成功し、その普及に一役買っている。
また、フランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』(79)も映画の音響を大きく変えた一本で、本作では5.1chサラウンドでの上映を実施。音響デザインが複雑になったため、ヘリコプターや観衆、環境音、武器にいたるまで、あらゆる音を担当制にして編集を行うという画期的な方法がとられた。

5.1chサラウンドが導入された『地獄の黙示録』
5.1chサラウンドが導入された『地獄の黙示録』[c] 2019 Ain't Heard Nothin' Yet Corp.All Rights Reserved.




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