『樹海村』清水崇らが明かす、“コロナ禍の映画づくり”のリアル「攻めなきゃいけない部分がある」
「スタッフ・キャストの不安をいかに取り除くか。自分たちでガイドラインを作った」(紀伊)
紀伊「映連(一般社団法人日本映画製作者連盟)がガイドラインを作ったのは、僕らが撮影に入るよりも後のことだったので、自分たちでいろいろな情報を集めてオリジナルのガイドラインを作るしかなかった。これは一体誰に向けてのガイドラインなのかと考えてみると、それはスタッフが可能な限り安心できること以外ない。スタッフやキャストの不安をいかに取り除くかということ以外、我々には責任が取れなかった。もし誰かがコロナに罹患したら撮影を中断せざるを得ないし、そうなったら他の人たちのギャラはどうなるのかなど、様々なことを細かく話し合いました。そして製作費も2週間分の余裕を持たせることを製作委員会に承認を得た上で作業を進めました」
清水「現場では衛生班を作り、毎朝の検温などを行なう専門のスタッフを用意しました。すっかり癖になって、撮影が終わってからも衛生班のスタッフに毎朝体温を送っていましたね(笑)。でも人によっては平熱が高い人もいるので、そういうことも把握しながら、とにかく『嘘をつかないように』と。それが始まるとなにを対策してもどうしようもない。スタッフからは不安になれば言ってくださいとして、吸い上げて取り入れられることは取り入れていきました。
いまでは当たり前になってきていますが、自分たちの組で初めてフェイスガードを目の当たりにした時にはSF映画かよと思いましたが、これにも慣れるしかない。最初は慣れるまで大変でしたけど、俳優部は若い人も多く、他の作品で経験している人もいたので比較的早く慣れているようでした。大変だったのは撮影部と照明部ですね。本番に入っても一回で済むことがなかなかなく、リズムを掴むまで1週間ぐらいはかかりました」
「日本映画に優勝劣敗の格差が生まれていくなかで、日本映画のマーケットを広げていく」(紀伊)
紀伊「結局のところ、これをやればいいというものはなく、やれば安心というところまでしかできない。ロケバスの席を間引いたところで、みんな電車で家に帰る。隔離して外の世界と接することなく撮り切ることは不可能なので、どこで折り合いをつけるかは、自分たちの組がここまでやってダメなら諦めがつくぐらいのところ。誰かがガイドラインでも、その組ごとに変えてもいいわけで、安心やタイミングの問題だと思います。
清水さんと撮った後に、9月の終わりから全編地方ロケで映画を撮っていまして、40日近く行きっぱなしのなかで、全員PCR検査を受けて現地入りしたけれど、晩ご飯は部屋で弁当食だった。そこで協賛いただいている町の人と話して、閉まってしまった居酒屋を開けてもらって、スタッフ・キャスト専用の居酒屋を作りました。そこしか行ってはダメとなっていたので、みんな部門の垣根を超えて仲良くなっていて、それは見ていて気持ちのいい光景でした」
清水「それはすごく楽しそうですね」
紀伊「コロナは映画制作の現場に変化をもたらしただけでなく、日本の映画興行の優位性も溶かしてしまったように感じています。映画館にいかなくてもいいタイトルというのが消費者の中にできてしまった。大きいタイトルはより大きく、小さなタイトルはより小さく。優勝劣敗の格差が生まれていくなかで我々がやらなきゃいけないことは、日本映画のマーケットを広げていくこと。どれだけのリスクをとって、おもしろいものが作れるか。そうしていかないと産業全体が沈んでいきかねないと思っています」