笠井信輔アナが綴る「ジャーナリストであること、人として生きること」 【映画『すばらしき世界』特別寄稿】
「実に深く、遥か先まで進んだ映画だ」(ポン・ジュノ/映画監督)、「西川さんの作品には、他にはない滋味深さがある」(本木雅弘/俳優)、「静かな重みに圧倒される」(角田光代/作家)など、各界の著名人から絶賛のコメントが届いている『すばらしき世界』(2月11日公開)。佐木隆三による実在の人物をモデルとした小説「身分帳」を原案に、舞台を35年後に置き換え『永い言い訳』(16)の西川美和監督がつむぐ本作は、人生の大半を刑務所で過ごした元殺人犯が、生きづらい社会のなかで悪戦苦闘する姿を通じて“現代”を活写する問題作だ。
13年ぶりに出所して社会復帰をめざす三上(役所広司)を番組のネタにしようと、テレビマンの津乃田(仲野太賀)と吉澤(長澤まさみ)がすり寄ってくるが、すぐに“元殺人犯”の片鱗が浮かび上がる。その驚愕の光景をカメラに収めるべきか、否か? フジテレビで、報道・情報番組を30年以上にわたり担当し、フリーに転身した笠井信輔アナウンサーが、『すばらしき世界』の感想とともに“報道に携わる者の葛藤”について、思いの丈を綴ってくれた。
役所広司が三上役で見せた、表情豊かな“喜怒哀楽”
『すばらしき世界』を拝見しました。期待はしていました。しかし、それを遥かに凌ぐ仕上がりでした。西川さん!また凄い作品を撮り上げましたね。
とにかく役所広司さんなんです。本作は、どこを切っても役所広司。しかも金太郎飴と違って 喜怒哀楽がこんなに豊かで、こんなに様々な表情を一本の作品で見せる役所広司さんを私は知りません。なんという俳優さんだろうと思いました。 これだけたくさんのこれだけ様々な役を演じていながら、役所さんはまだ私たちが知らないところまで行けてしまっている。
若い頃からずっと刑務所に入っている人間の、知識の低さ、感覚の鈍さ、一般常識のなさ、それを役所さんは最初の太賀さんのインタビューシーンで、自分がやってきた犯歴の数々をペラペラ語る時の語り口で、表情で、全てを表していました。三上正夫とは、こんな人間ですと、あの短い時間に提示してみせたのです。しかも危ないくらい純粋な人間であるということもにじませていました。私はそこでハマりました。出所後のこの男がどうなっていくのか、楽しみで仕方なくなりました。
正直で、嘘がつけなくて、正義感が強い。でもすぐ感情的になってしまって、相手に対して許せないと思った瞬間に手が出てしまう。それも過激に…。でもそれを悪いと思ってない、いいことだと思っている。非常にやっかいなキャラクターです。社会への適応能力が極めて低い男だということはすぐにわかるのですが、いい奴なんですよ、心根はいい奴なんですよ。凶悪な男じゃない。善悪の正しい判断がつくような学びをしてこなかっただけなんです。
三上から目が離せなくなりました 。とんでもなく暴力的で凶暴な性格が見え隠れしていても、私たちが三上のことを嫌いにならないのは、おそらく役所さんがこの男を愛していたからではないでしょうか? 大切に演じていたからではないでしょうか?
刑務所に入ってばかりいてどうしようもない男ですが、三上なりの愛を感じました。 だから何とか出所後うまくやってほしいと応援モードで見ていました。しかし、それがすぐに裏切られてしまう。そのために何とも言えない気持ちになりました。まるで三上の関係者になったような気分なんです。これって相当リアルな状況なんじゃないでしょうか。保護師の皆さんが日々感じるかもしれないことを我々観客が体験しているのだろうと。
日常における正しい振る舞いとは何なのか?
そしてすべての観客に立ちはだかる命題が浮かびあがります。それは、「日常における正しい振る舞いとは何なのか?」ということです。「自分の身を守るために、見て見ぬふりをすることも知らぬふりをすることも、生きる上では大切なのだよ」と教える橋爪功さんと梶芽衣子さん夫妻の意見には本当に賛成なんですが、でもここまで純粋に生きている三上にそれを言うのはあまりにも酷だという、もう1人の自分がいました。人として、その純粋な思いを否定してよいのだろうか?と。
それをそのまま子供に教えることができるかという思いもあります。社会生活を上手に生き抜くために、周りの人と上手くやって行くために折り合いをつけて生きて行くと言うことは自分のなかの善意を少しずつ削っていくことなのかもしれません。実際、誰もがそういう体験をしているんです。何かトラブルに巻き込まれている人を救ってあげたいと思いながらも、ここで巻き込まれたら厄介なことになる。そうやって自分の善意に歯止めをかけたことがきっと、何度もあるんです。だから三上のことを全否定できない。