笠井信輔アナが綴る「ジャーナリストであること、人として生きること」 【映画『すばらしき世界』特別寄稿】
感情移入した“三上の葛藤”と“テレビマンとしての欲求”
今回、役所さんの素晴らしさはリアクション芝居でした。『孤狼の血』などは、役所さんの感情の発露が素晴らしかった。どう動くかが魅力でした。しかし、今回の魅力はどうこらえるかという心のなかの葛藤の部分、それをセリフで無いシーンに滲ませているところにとてつもなく訴える力がありました。特にカット尻のふとした表情に、訴えるものがありました。 前科者と知らない介護施設で職員たちから差別的な言動を受けた時の、あの間、あの表情、そのアップの数秒間だけで、もうサスペンスなんです。なんて豊かな感情表現ができる人なんだろうと役所さんに感心していると、そのまま三上に感情移入している自分がいました。
もう1つ私がこの作品に感情移入した部分は、テレビドキュメンタリー班が重要な役割を果たしているという部分です。映画に出てくるテレビスタッフというのはだいたいしょうもない人が多いんですよ(笑)。確かに長澤まさみさんのようなテレビマンはいます。密着取材をする時に、よりインパクトのあるより衝撃的な映像を撮りたいという欲求はどんなテレビマンも持っているのです。ゆえにテレビマンとしては見ていて辛いシーンがいくつかありました。ハイライトになっていた役所さんがチンピラに暴力を振るうシーン。同じような体験があるので見ながらフラッシュバックしました。
あれは、阪神淡路大震災の取材現場、当日の午前中に東京のテレビ局で最初に被災地に到着した私たち取材班は、取材拒否なんていうものをはるかに超えて、崩壊した住宅地で被災者のみなさんから「救急車を呼んでください」「ガスを止めてください」「家の下敷きになっているおじいちゃんを一緒に引き出してください」と助けを求められました。しかし、私たちには「伝える」という仕事がありました。「この映像を一刻もはやく、日本のみなさんに届けなければいけません」と私たちは人命救助よりも取材活動を優先して謝りながら取材を進めました。
しかし、2日目の深夜、長田区の火災現場でバケツリレーをしている姿を取材中に、私(当時31歳)とディレクター(当時29歳)は思わずバケツリレーを手伝ったのです。そのシーンが放送されると、私たちは報道局の上司に叱られました。「手伝ってます、なんていう映像を送ってくるな!」と。私は反発しました。「あの現場にいたら、分かるはずです、あの悲惨な状態を知らないからそういうことが言えるんです。誰だって手伝うはずです」。すると上司は「だったら、カメラマンもカメラを置いて手伝え! おまえらは似非(えせ)ジャーナリストだ!」。その言葉が、25年以上たった今も忘れられません。
人として生きるのか? 報道人として生きるのか?
長澤まさみPはあの時叫びました。「撮らないなら割って入って止めなさい!止めないなら撮って伝えなさい!」一瞬、ひどいことを言っているようですが、取材の真理をついている強烈な言葉です。あの時、私たち取材班は、その真ん中をやったのです。「割って入って撮影して伝える」という。ジャーナリストは、時に凄惨な取材時に、「人として生きるのか? 報道人として生きるのか?」その狭間に苦しむのです。SNSでは、「人として生きよ!」と、山のように糾弾されますが、それは、あの現場に立たなければわからないと思います。
長澤Pは報道人として生きる(撮影する)ことを冷徹にも求めました。もしかすると、とてつもない傑作ドキュメントになる可能性があるからです。一方、太賀さんは、割って入ることも、伝えることもしませんでした。私にはここが響きましした。
「ハゲワシと少女」というピュリツァー賞を受賞した有名な写真があります。カメラマンは、「少女を救うよりも撮影を優先した」と非難され受賞後の3か月後に自殺しました。太賀さんは、あの現場で、ジャーナリストであることを捨て、“人として生きること”を選んだのです。その気持ち、ほんとに痛いほどわかります。
あえて撮らなかった、東日本大震災のスクープ映像
阪神淡路大震災の16年後 、私(当時47歳)は東日本大震災の現場で、目の前で津波によって壊れたコンビニから食べ物を盗む人たちに出会いました。しかし、私たち取材班は、その現場をそのまま通りすぎました。ディレクターも「撮影しよう」と言いませんでした。
私たちは撮影も忠告もしませんでした。太賀さんと同じように逃げたのです。あの津波の現場で2日目から取材をして、苦しむ皆さんの姿を追い続けて、コンビニに残された食料ぐらい食べさせてあげたかったんです。「被災者にマイクをむけるなんて気持ちがわからない」と批判される自分の心にも人としての気持ちが残っているという、確認だったんだと思います。
岩手の取材班は、津波で壊れたホームセンターに被災者が群がる、大量盗難の現場に遭遇しました。海外にも配信される大スクープです。でも!カメラを回さなかった。母子が笑顔で食品を盗む姿を見て耐えられなかったそうです。我々テレビマンにも善意はあります。長澤さんの考え方はちょっと行き過ぎてる部分はあるものの、間違ってはいませんし、太賀さんの選択も正しい。主人公を尊重するあまり、「三上を善、取材を悪」というステレオタイプのとらえ方で描かないところが、この作品の優れたところです。ドキュメンタリー出身の西川監督ならではだと感じました。
太賀さんがカメラなしで行動を共にするもの好感がもてました。私も「カメラなし」やることがあるのです。そして、最終的に、本を書いて伝えようとしたのも、報道にかかわるものとしてホッとしました。あれだけの体験をして、何もしないのは、物書きとしても失格だと思いますから。
映画が映す “善意に従う”という救いと『すばらしき世界』の魅力
長くなりました。しかし、最後にどうしても、六角精児さんに触れさせてください。六角さんはこの作品の大いなる「救い」でした。その言動に涙が出て来ました。三上に本気で向き合う、こういう人が、人を助けるんだと。彼は「余計なことには首を突っ込まない方が安全に生きられる」という主張に対するアンチテーゼとしての存在です。元殺人犯とかかわるのは、やっぱり避けた方が無難です。しかし、あえてこの人と向き合おうという六角さんの行動に、観客は気づかされる部分があると思うのです。自らに生まれる善意に従うことも必要だと。観ながら、いろんなことを考えさせる、しかも、物語が重すぎないのも大いなる本作の魅力でした。
デビュー作の『蛇イチゴ』はじめ『ゆれる』、『ディア・ドクター』、『永い言い訳』そして本作『すばらしき世界』、西川美和監督の秀作は、みな憎めないダメ男が主人公。何が正しいのかと考えてしまい、そして、だめな主人公に対して、彼は救われないのだろうか? しょうもないなあ…と思いながら、しかし、どうしてもそんな男たちに心を寄せてしまう魅力があるのです。それって、西川さん自身が、そんなダメ男に惹かれてしまう、めっぽう弱い女だからなのかもしれませんね。「すばらしき映画」をありがとうございました。
寄稿/笠井信輔