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「庵野さん、卒業おめでとう」緒方恵美が振り返る、庵野秀明と碇シンジとの25年

インタビュー

「庵野さん、卒業おめでとう」緒方恵美が振り返る、庵野秀明と碇シンジとの25年

「今回のシンジは、ただ拗ねて黙っている状態ではない」

本作の生みの親である庵野秀明総監督は、自身の魂そのものとも言える「エヴァンゲリオン」を、身を削るようにして作り続けてきた。全身全霊で作品と向き合う庵野総監督と共に仕事をする時間とは、どのようなものだっただろうか。


緒方は「『新劇場版』シリーズに入ってからの庵野さんは、私と向き合う時はほとんどずっと、笑顔だったんです。なので逆に『怖いな、なんで笑っているんだろう。どうしたんだろう』と思っていました」と楽しそうににっこり。「テレビシリーズを制作していた時は、もっとヒリヒリされていらっしゃいました。庵野さんも含めて、鶴巻(和哉)さん、摩砂雪さんも毎週会うたびにやせていって。『みんな、大丈夫かな』という想いで見ていました」と、年月を経た変化を語る。

緒方が庵野総監督に抱いているのは、絶大な信頼感だ。いまやアニメのアフレコ現場といえば、まだ絵が入っていない状態でアフレコをする作品も多いもの。しかしテレビシリーズ「新世紀エヴァンゲリオン」が始まった1990年代は、「時代的にどのアニメの現場も、絵が100パーセント出来上がった状態でアフレコをすることが多かった」という。「『エヴァ』も最初は100パーセント絵が入った状態で、アフレコをしていました。だんだんと絵が減っていったのですが、そうなったとしても庵野さんは『このシーンはこうなる予定だ』『だからこう演じてほしい』ということを、ものすごく丁寧に説明してくださる。すると実際に、おっしゃった通りの映像が上がってくるんです。庵野さんは、そうやって作品に向き合う方だとわかっていたので、ものすごく信頼しています」。

本作のアフレコ前には、初めての経験をしたという緒方。「ある日『シナリオについて相談したい』と連絡をいただいて、スタジオカラーさんに伺ってミーティングをさせていただきました。『:Q』の最後で言葉を発せない状態になってしまったシンジが、どうやったら復活すると思うか、君の意見を聞かせてほしい』と言われたので、『庵野さんが決めた通りにやります』とお話ししたのですが、庵野さんは『いま僕は、シンジよりゲンドウに近い感覚になってしまった。いまのシンジの気持ちを理解しているのは、緒方と(総監督助手の)轟木(一騎)しかいない』と(笑)」。

続けて「今回のシンジは、ただ拗ねて黙っている状態ではありません。自分が覚悟を決めてやり遂げようとしたことが、なにもなし得ていなかった。それどころかたくさんの人たちを巻き込んでしまい、なぜだかわからないけれど、周囲のみんなもまるで知らない人のようになってしまったという状態です。そのなかで唯一、自分と話してくれた友人を目の前で失くしてしまった。さらに『槍を抜いたら元に戻る』と言われたから必死でやったのに、もっとひどいことになってしまった。そういったすべてを背負ったうえで、シンジはしゃべれなくなってしまったんです。シンジの気持ちを私の感じたままお話しして、整理しながら『それらを乗り超えられる状況が整えば、どうにでもなると思います』と意見を交換させていただきました」と述懐。
「アニメーションの現場において、声優は最後のタイミングで仕事をするポジションなので、アフレコ台本より遥か前の、シナリオ台本の段階で意見を聞いていただくことはほぼありません。初めての経験でした」と明かし、全幅の信頼を寄せていたのは、庵野総監督も同じのようだ。

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