西島秀俊×アピチャッポン・ウィーラセタクンが熱く語り合う!「私たちには生きる証として映画が必要」
11月8日(月)まで開催中の第34回東京国際映画祭で、昨年に引き続き行われている「トークシリーズ@アジア交流ラウンジ」。東京国際映画祭と国際交流基金アジアセンターの共催のもと、アジアをはじめとした世界を代表する映画人と、日本の第一線で活躍する映画人が様々なテーマでトークを展開していく。
11月6日に行われた第7回は、日本の俳優界随一の映画通として知られ、『ドライブ・マイ・カー』(公開中)や劇場版『きのう何食べた?』(公開中)、「真犯人フラグ」「おかえりモネ」など映画からドラマまで幅広く話題作への出演が相次ぐ西島秀俊が登壇。最新作『MEMORIA メモリア』(2022年3月4日公開)が当映画祭の「ガラ・セレクション」部門に出品されたアピチャッポン・ウィーラセタクン監督とオンラインで語り合った。
昨年もこの「アジア交流ラウンジ」に参加し映像制作集団・空族の富田克也と相澤虎之助とオンライン対談を行なったウィーラセタクン監督は、1994年から映像制作をはじめ『ブンミおじさんの森』(10)で第63回カンヌ国際映画祭パルムドールをタイ映画として初めて受賞。映画監督としての活動以外にも、世界各国で展覧会やインスタレーションを展開するアーティストとしての活動でも知られている。『MEMORIA メモリア』は、『ドライブ・マイ・カー』が脚本賞を受賞した今年7月の第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、審査員賞を受賞した。
「濱口監督の作品のなかでもひとつの完成形」(西島)
ウィーラセタクン「『ドライブ・マイ・カー』をニューヨークで拝見しました。カンヌでは観るタイミングがなく、周囲がこの映画の話で持ちきりだったのですごく楽しみにしていました。感情のレベルを超越し、知的レベルで後から響く作品だと感じました。同時に悲しい映画でもある。壊れた心を持った、壊れた人々の姿を発見できる。そうした表現は、『MEMORIA メモリア』にも通じています。登場人物も場所も、それぞれが壊れた陶器のかけらのように決して元通りにはならないけれど、その不可能に挑んでいる。非常に感銘を受けました。秀俊さんはいままでで一番の演技を披露されていたのではないでしょうか」
西島「ありがとうございます。『ドライブ・マイ・カー』は精神的な映画でもあり、同時に緻密に考えられ、構造としてもとても美しい、どこか完成されたものを感じる映画です。濱口監督の作品のなかでもひとつの集大成というか、一つの完成形なのかなと思います」
ウィーラセタクン「私が気になったことは、秀俊さんが演じた家福は妻の死や自分を外界から疎外し、そして過去にふたたび繋がろうとする。そうした役を演じるにあたって、撮影中にはなにか特定のキャラクターに関連づけたのか、それとも本当に“無”になって集中したのか。どういうメソッドで取り組まれましたか?」
西島「濱口監督は脚本以外にも膨大なテキストを与えてくれる監督で、そのものすごい量の中に役柄についての答えがありました。それをひたすら読み続ける。時には声に出したり演じたり、感情を込めずに読む作業を繰り返していきました。ジャン・ルノワールやロベール・ブレッソンもやっていたといわれている演出方法は、とてもおもしろい体験でした。カメラの前でなにかを起こさなきゃいけない。その時にテキストが自分を支えてくれるということを、非常に強く感じることになりました」
ウィーラセタクン「そうですね、確かにテキスト、文、言葉が大事な映画でしたね。とりわけこのような作品はテキストベースでストーリーが観客に対して訴えかけてくるものがあります。感情をあらわにしないけれど、キャラクターが現実ではなく、誰かを反射した鏡のような媒介装置になる。そういう作品が私は大好きです」
西島「村上春樹さんの小説のキャラクターは、感情を表に出さないけれどとても正直です。小説では文章のなかで感情を説明するから、映画では、例えば市川準監督のようにナレーションを入れたり活動的なキャラクターに変換する監督もいます。濱口監督と話をした時に、映画的なキャラにしないと観客は観てくれないんじゃないかという話が出ました。でも濱口監督は『あなたがやれば絶対観客はついてきます』と言ってくれました」
ウィーラセタクン「撮影は順撮りだったのでしょうか?」
西島「できるだけ順序立てて撮るようにしてくれていましたね。映画は前半と後半に大きく分けることができますが、ちょうどその間にコロナがあって、撮影がストップしていました。半年の自粛期間中、自分も外に出ることができずなかったのですが、世界中が死と密接に関わった時間と重なったことで、演じる上で大きな影響を与えられました」