現役フラガールたちが『フラ・フラダンス』を鑑賞!震災とコロナ禍を越えて繋がれた、“絆”のバトン
「フラを見て涙を流される方もいて。みなを笑顔にしたり、元気づけられたらと思いました」(キアヌ咲樹)
劇中の日羽は、姉の真理がフラガールとして働いていた「スパリゾートハワイアンズ」のポスターを見て、高校卒業と同時に、衝動的に新人ダンサーの採用試験を受ける。それは、最初にも触れたように、ハワイアンズを経営する常磐興産の入社試験に合格して正社員になることでもあるが、取材に応えてくれた4人がここを目指した動機は様々だ。
キャプテンのラウレア美咲は、「私はもともとフラじゃないダンスを習っていたんですが、次第にいろいろなダンスを習ってみたいと思うようになって。そんな時にハワイアンズに来て、この大きなステージで私も踊りたいと思ったのがきっかけです」と振り返る。それでも、ハワイアンズを実際に目指した時には、「お仕事としてダンサーになりたいということを意識していました」と強い意志があったそうだ。
高校1年の文化祭が終わった時に、担任の先生に「ちょっとやってみない?」と誘われてフラを始めたというキアヌ咲樹は、高校2年時の経験が大きかったという。「震災後に仮設住宅や老人ホームに訪問してフラを踊ったんですが、その時に観てくださった方々が笑顔になったり、逆に涙を流される方もいて。そんなことがあったので、高校3年の進路を決める時に、地元のハワイアンズで踊って、みなを笑顔にしたり、元気づけられたらと思ったんです。それがこの仕事を選んだきっかけですね」。
「私がハワイアンズを目指すと決めたのは中学3年、高校受験の時です」というのは加藤。「幼いころから地元の公民館で習っていたフラダンスを仕事にしたいと考えた時に、本場のハワイなのか東京でやるのか、いろいろと考えたのですが、小学生の時に何度も行っていたハワイアンズの、ダンサーとお客さまが一つになるこの空間が好きだったことを思い出して。それに、ハワイアンズのステージは毎日ありますから、毎日お客さまの前で踊ることができますし、活力や元気の源にもなれる。それで、ハワイアンズを目指そうと思ったんです」。
三井は、「小中学生の時からハワイアンズにフラガールという職業があることは知っていて、興味もあったんですが、試験が厳しく、倍率も高いので諦めかけていたんです」と振り返る。「でも、自分の進路と向き合い始めた高校1年の時にハワイアンズでソロダンサーの先輩が踊るショーを観て、ステージを自分の色に染めることができることを知ったんです。進学も考えていたんですが、その時に担任の先生に『若いうちにしかできない職業に就くのもいいんじゃないか』と背中を押してもらって。好きなことを仕事にしたいな、と素直に思うようになって、進路を決めました」。
印象的だったのは、キアヌ咲樹と三井が共に先生に勧められて“フラガール”の道を目指したという点だが、聞けば2人ともいわき市出身。“フラ”の文化が根づいていて、就職の選択肢の一つになっているのがなんともこの土地らしい。「フラを習っている先生や子どもたちが周りに多い環境なんです」とキアヌ咲樹が教えてくれた。ちなみに、ラウレア美咲は茨城県の北茨城市出身、加藤は宮城県の富谷市出身。“フラガール”のなかには関東や関西、九州の出身者もいるが、東北出身者が圧倒的に多いのは、フラが東北の人間にとって身近なものだからに違いない。
「失敗するのは、決して悪いことばかりではないと感じています」(ラウレア美咲)
『フラ・フラダンス』では、日羽たちの新人らしい大失敗エピソードも描かれているが、それは誰もが新人時代に経験するものではないだろうか。実際の“フラガール”たちもいろいろな失敗を重ねているはずだと考え、そのあたりを探ってみると、先輩ダンサーの2人から、いまだから話せるエピソードが飛びだした。
「もうこれは時効かな?でも、新人時代ではなく、4年目ぐらいのことで…」と、恥ずかしそうに口火を切ってくれたのはキャプテンのラウレア美咲。「夏休みで2連休をいただいた時に、海に遊びに行ったんです。その休み明けが3つ下の後輩たちのステージデビューの日だったんですが、自分でもビックリするぐらいの日焼けをしてしまって(笑)。でも、当時の先輩方はとても怖かったので、なかなか言いだせず、結局ショーの直前に『すみません』と謝ったんです。水ぶくれのため衣裳も着られず、クビになるのではと思いました。チームにも迷惑をかけてしまい、あれは最大の失敗でした」。
ショーの裏側での失敗談を話してくれたのはキアヌ咲樹だ。「ショーの本番では、後輩は先輩の衣裳の着替えを手伝うことになっているのですが、その作業が手際よくできない時に、同期の何人かが先輩から怒られて。結局、自分たちの出番に間に合わずショーに出られなかったことが何度かありますね」。
「でも、失敗するって決して悪いことばかりではないと私は思っていて」と、ラウレア美咲は言う。「経験ってすごく大事なことだと思うし、失敗しないと次に繋がらないこともある。私みたいに隠すのではなく(笑)、失敗を認めて、素直に謝ることのできる人間性を養う方が重要だと感じています」。
先輩ダンサーたちの厳しくも温かな指導が言葉の端々から伺えるが、その強い結びつきについては、映画のなかでも大きく取り上げられている。では、後輩たちから見た先輩とはどんな存在なのか。加藤が答える。「私は57期生なんですけど2回目の受験だったので、56期生の先輩方は同い年なんです。でも、1年前から経験を積んできている56期生はずっと大人に思えます。1年でもそれぐらい違うので、キャプテンのように10年やられている先輩は雲の上と思えるような存在。ダンスの深みも全然違いますし、精神的にも支えになってくれています」。
三井も大いに頷き、先輩がいてくれるありがたさを訴える。「もちろん、同期たちといるのはホッとする時間でもあるんですが、先輩方と一緒の時はまた違った安心感があります。ソロで踊る先輩と一緒にレッスンする時間を作っていただいた際に、踊りのすばらしさだけではなく、後輩に対する思いやりや周囲への配慮などを先輩方から感じて。優しい存在感に日々励まされています」。