『セーラー服と機関銃』『Wの悲劇』から「エール」へ、薬師丸ひろ子と名曲とのひそやかな関係
歌を聴いた観客や視聴者の頭の中に、情景が広がる
そして、映画、主題歌ともに最大の話題を呼び、薬師丸を本格的な女優へと引き上げたのが第5作の『Wの悲劇』(84)だ。本作は子供が親の罪を被る夏樹静子の原作小説の設定は劇中の舞台劇で描き、映画そのものは薬師丸の演じる劇団の研究生が大女優の身代わりになる二重構造。繊細な演出と一切の妥協を許さない『野菊の墓』(81)の澤井信一郎監督がメガホンをとり、劇中劇の演出を演劇界の重鎮・蜷川幸雄が担当したことも話題になったが、薬師丸がこの現場でふたりの鬼才からそれまで味わったことのない過酷な洗礼を受けたのは想像に難くない。
その証拠に2021年の11月30日にNHKでオンエアされた「SONGS」で、彼女は『Wの悲劇』のラストシーンの撮影を振れ返り、「監督の『もっと!』『もっと!』の要求に応えられなくなったときに無の状態になって。監督に『泣け』とか『笑え』とか言われるんじゃなく、自分の好きな時に笑って、自分の好きなときに泣く人生を歩むんだと思った」と並々ならぬ試練のなかで苦渋の決断をしたことを述懐。
だが、その極限状態から生まれた、芝居の枠組みを超越した薬師丸の渾身のパフォーマンスが観る者の感動を呼び起こしたのだ。しかも、彼女の子どものころからの憧れの存在でもある松任谷由実が「呉田軽穂」名義で提供した主題歌「Woman“Wの悲劇”より」(作詞は松本隆)を熱唱する彼女の美しい歌声が、ヒロインと薬師丸自身の苦しみを浄化し、映画をより味わい深いものに。それは運命的なものだった。芝居と歌。そのふたつの魅力が高いレベルで融合した本作で薬師丸が第27回ブルーリボン賞の主演女優賞などに輝き、アイドルから女優へと華麗なる転身を遂げたことがそのことを実証している。
では、薬師丸の歌う楽曲はなぜ多くの人の心に響き、揺り動かすのか?その理由を、すでに触れた名だたるアーティストたちがその年齢ごとの薬師丸にマッチした曲を生み落とし、その素晴らしい楽曲の数々を彼女が基本に忠実な高音のクリスタルボイスで歌い上げているからとシンプルに分析する人もいるはずだ。確かに、それも一理ある。だが、それだけではない。
その秘密を解くヒントも、前記の「SONGS」での薬師丸自身の言葉のなかに隠れていたように気がする。番組中で彼女は「あまちゃん」の撮影を振り返り、「どんなに恥ずかしいセリフでも難しいセリフでも、宮藤(官九郎)さんが(脚本に)書いた通り、一字一句間違えないで言おうと決めたんです。そうすることによって、自分が宮藤さんの脚本に乗っかれると思ったんですね」と言及。つまり、薬師丸は宮藤の書いたセリフとそこに込めた想いを観客にストレートに届けることに徹したのだ。
たぶん、それは「あまちゃん」に限ったことではない。思い返してみれば、どの作品でも薬師丸のセリフはすべてはっきり聴きとれる。それは中高域の声質と淀みのない発声の仕方とも無関係ではないが、それだけではなく、言葉を観ている人にきちんと届けたいと願う彼女のスタンスこそが大きく影響しているような気がする。
そんな薬師丸ひろ子という女優の本質や姿勢が歌唱の際も自然に働くから、彼女の歌を聴いた観客や視聴者の頭の中にその情景が広がるのだ。それこそ、「あまちゃん」で薬師丸が歌った「潮騒のメモリー」は東日本大震災で被害に遭った北三陸の人たちを勇気づける応援ソングの名曲としていまもなお歌い継がれている。
また、同じく連続テレビ小説の「エール」では、薬師丸の演じた光子が「戦争の、こんちくしょう! こんちくしょう!」と唸りながら地面を叩くと台本には書かれていたところを、彼女の提案でクリスチャンの光子が賛美歌を独唱する設定に変更。空襲で焼け落ちた自宅の跡で、焼け残った歌集を膝の上に置き、光子=薬師丸が賛美歌第496番の「うるわしの白百合」を約3分間にわたって歌い上げるこの一連は、その歌声から敗戦の知らせを聞いた光子のさまざまな想い、新たな命の再生を願う彼女の気持ちがひしひしと伝わってくる珠玉のシーンになった。それが、戦争を知らない若い人たちの心にも響いたのも、賛美歌に光子の想いを乗せた薬師丸のまっすぐな歌声によるところが大きいのは間違いない。
そうなると、次に期待するのは、薬師丸ひろ子の天使のような歌声が今度はどんな映画やドラマで響き渡るのか?ということ。その日が来るのを楽しみにしているのは、たぶん筆者だけではないはずだ。
文/イソガイマサト