瀬々敬久監督が語る『とんび』が色褪せない理由。阿部寛の“力強さ”、北村匠海の“孤独をたたえた瞳”にも惚れ惚れ
昭和37年から、約60年にわたって、色鮮やかに家族の物語を活写している。時代と共に変化していく人々の暮らしや、文化、ファッションも興味深いが、ヤスが口ずさむ歌に注目した観客もいた。「世代的に、私は知らない曲が多かった。当時流行っていた曲を使われたと思うんですが、どのように選んだんですか?」と聞かれた瀬々監督は、「冒頭でヤスが歌うのが、小林旭さんの『ダイナマイトが百五十屯』。“とんびの間抜け目”という歌詞が出てくるんです」と映画のタイトルとリンクすることを語りながら、「僕はピンク映画を撮っていたんですが、当時の(製作会社)獅子プロダクションの先輩が酔っ払ってよく歌っていた」と楽しそうに述懐。さらにフィンガー5の「恋のダイヤル6700」も歌われているが、「あれは阿部さんが勝手に歌った」という。田端義夫の「十九の春」について、「沖縄民謡を元にした歌で、すごくヒットした。映画で歌われているシーンは、沖縄返還のころなんです。当時を知っている人ならば、“あの時代なんだな”とわかるようにしているところもあります」と続けると、質問した女性も「聴いてみようと思います」と笑顔を見せていた。
また劇中にはいくつかの家族の形が登場するが、そのどれもが完璧ではないものとして描かれながらも「強い絆を感じた」という感想も届いた。瀬々監督は「おっしゃる通りですね」と同調し、「“本当の家族、正しい家族ってなんだ”というところに、重松清さんは疑問を呈している。どこか欠けていたり、偽の関係であったとしても、“それはそれでいいんじゃないか”ということを提示されている」と分析した。
「ヤス自身も母を早くに亡くし、叔父夫婦に引き取られて育っている。自分の存在がどこか不確かなところから、始まっている。でも“不確かでもいいんじゃないか”という、生き方の指針がある。それは、重松さんの言いたかったことだと思う。『とんび』という原作小説は、お涙ちょうだいの古い話みたいに一見は見えるんだけど、実はいまの問題もえぐっている気がする。いまだって女性1人で子どもを育てられている人、父子家庭だってある。そういった現代性や多様な家族の在り方も、突き刺しているような原作。だからこの物語は古びれないんだと思う」と原作の持つ普遍性を熱弁すると、観客の男性は「映画を観ていて、“本当の幸せってなに?”と問いかけられているような気がしました」と瀬々監督の言葉に熱心に聞き入っていた。
そして「胸がいっぱいです」と感動しながら、「私自身も母親なので、お母さんのようになって、アキラのことを守ろうとする女性たちが印象的。女性たちのお話を聞かせていただけたら」という質問に、瀬々監督は「重松さんの原作には、新しい女性像や、新しい生き方をする女性を認めようとしているところがあると思う」とコメント。「薬師丸ひろ子さん演じるたえ子は、戦後すぐの時代に、離婚して娘を置いて出てきた女性。日本伝統の家族制度から飛びだそうとした女性像で、当時としては新しい女性だと思う。杏さんの演じた由美も、80年代にバリバリと仕事をしている先駆者のような女性。(彼女たちは)母親であること、女性であること、人間であること、そういった選択のせめぎ合いのなかで、決して母親であることも捨てずに、人間であることを選ぶ。“女性は家を守ればいい”という古い話ではなく、新しい生き方をも肯定しようとしているのが、『とんび』の世界」と女性の描き方からも、本作の魅力を紐解いていた。
取材・文/成田おり枝