授賞式から時間が経ったいま、『コーダ あいのうた』トロイ・コッツァーが語る“当事者キャスト”の意義と“受賞の瞬間”
「観客に『こういう作品を観る準備ができていましたか?』と問いたい野心もあった」
自身の受賞やキャリアだけでなく、世界中に与えた影響も喜ぶトロイ・コッツァー。日本でもアカデミー賞受賞後に『コーダ あいのうた』を上映する劇場が急増し、その感動は広がり続けている。聴覚障がいの両親と兄を持ち、家族で一人だけ耳が聞こえる高校生ルビー(エミリア・ジョーンズ)を主人公にしたこの作品は、両親と兄の役に聴覚障がいの俳優をキャスティングしたことで、高い評価を受けた。母親役こそ、かつて『愛は静けさの中に』(86)でアカデミー賞主演女優賞を受賞したマーリー・マトリンだが、父親役のコッツァー、兄役のダニエル・デュラントは、キャスティング当時名前で観客を呼べるほどのスターではなかった。しかし“当事者”だからこそ伝わってくるものがあると、本作を観た人は実感するはず。手話の表現も俳優に任されたことを、コッツァーは次のように語る。
「シアン・ヘダー監督が書いた脚本は、聴者が発する前提のセリフで書かれていました。それらは、私たち聴覚障がい者のカルチャーからすると、ユーモアの意図をそのまま手話に変換すると違和感があったりします。ですから撮影では多くのテイクで、様々なアドリブを試してもらいました。みんながお互いをリスペクトしながら、オープンに手話を交わすプロセスは、今回の現場で最も楽しかった部分ですね。時には手話のFワードも使いましたけど(笑)。基本的にこうした現場は聴者が中心で、我々は彼らについていくケースが多いのですが、この作品はまったく別物。映画の観客に『こういう作品を観る心の準備ができていましたか?』と問いたい野心もありました」。
「私は娘に音楽を感じさせてもらっています」
劇中、ルビーは歌の才能に目覚めるが、その歌は家族には聞こえない。しかしコッツァーが演じる父のフランクが、ルビーの喉のあたりに触れて彼女の歌を“感じる”シーンがある。ここは作品でもハイライトの一つ。ではコッツァー自身は日常で“音楽”をどのように受け取っているのだろう。
「正直に言うと、日常生活で音楽には興味がありません。CDにお金を使うのも無駄ですし(笑)。ただ娘が生まれて私も少し変わりました。彼女は耳が聞こえ、音楽が大好きなのです。ですからロックやカントリー、クラシックなどジャンルの違いを教えてもらい、歌詞も手話で説明してもらいました。娘はギターとピアノも弾くので、私にもピアノの鍵盤に指を置いて一緒に曲を感じてほしいと言ってきます。低音が多い曲だと指で振動を感じやすいので『この曲、いいね』などと伝えたりして、私は娘に音楽を感じさせてもらっていますよ」。
このように劇中のフランクと、コッツァー自身の経験には近いものがあるようだが、キャラクターとしてはまったく自分と異なると彼は断言する。
「私は砂漠に囲まれたアリゾナ州の出身なので、漁師のフランクのようにシーフードはあまり食べません。私生活では海に出るよりも、湖を好みます。フランク役は、自分と違う世界に飛び込む感覚でした。自分のリミットを外すようでもあり、だからこそ人生のターニングポイントになったのです。撮影が終わったあとも、フランク役への愛着が消えず、離れがたい気分でした。でも妻は『家に帰って来たのにフランクの姿を見ていたくない。キスしたいから、あごヒゲを早く剃って』と言ってくるのです(笑)。結局、ひげを剃るまでに1年かかってしまいました。それだけフランクは聴覚障がい者の役として、たくましく、楽しいものだったのです」。
そして今年のアカデミー賞では、国際長編映画賞を受賞した日本の『ドライブ・マイ・カー』でも手話が重要な役割を果たした。コッツァーもこの映画を観たのか聞いてみると…。
「もちろん観ました。私には字幕が必要ですから、外国映画を優先的に観る傾向があります。ですから映画を通して、日本を訪れることができました。『ドライブ・マイ・カー』では韓国の手話が使われたことにも感動しました。今後の映画製作への大きな扉を開いた作品だと思います。今回の受賞にも祝福を贈りたい気持ちでいっぱいです」。
アカデミー賞での『ドライブ・マイ・カー』やコッツァーの受賞によって、たしかに映画製作の新たな扉は開き始めたかもしれない。「我々が登場する西部劇なんかもいいですし、歴史に残る聴覚障がい者のボクサーやプロ野球選手もいるので、挑戦への意欲が広がる」と語るコッツァー。
「映画作りに言語は関係ありません。“愛”が大切です」と胸を張って言い切る彼が、再びその演技で感動を届けてくれる日は、おそらく遠くないはずだ。
取材・文/斉藤博昭