猛暑で気絶した馬の下敷きに…!?“永遠の妖精”オードリー・ヘプバーンにまつわる25のトピック

コラム

猛暑で気絶した馬の下敷きに…!?“永遠の妖精”オードリー・ヘプバーンにまつわる25のトピック

世紀の女優として多くの人々にインスピレーションを与え続けているオードリー・ヘプバーン。名声の裏に隠れた真実の姿を描く初のドキュメンタリー『オードリー・ヘプバーン』が公開中、6月には「オードリー・ヘプバーン映画祭 2022」が開催されるなど、その死から約30年が過ぎようとしているいまもなお愛され続けている。そんな彼女にまつわるトピックを、映画のエピソードを中心に集めてみた。

『オードリ・ヘプバーン』は公開中
『オードリ・ヘプバーン』は公開中[c]2020 Salon Audrey Limited. ALL RIGHTS RESERVED.

生後3週間で死にかける…

1929年5月4日に生まれたオードリー。しかし。その3週間後に咳の発作によって心臓が停止するも母エラは医者を呼ばずに、自ら蘇生し、一命を取り留めた。

戦時下にはレジスタンスとして活動

第二次世界大戦中、ナチスの占領下となったオランダのアーネムで過ごしていたオードリーは、靴にメッセージを隠して届け、ドイツ兵に見つからないように秘密裏にバレエ公演を行ってレジスタンスのためのお金を稼ぐといった活動をしていたという。

映画デビューはキャビンアテンダント役

第二次世界大戦後、バレエのためにアムステルダムに移住したオードリーは、『Nederlands in Zeven Lessen』(48)という映画にKLM航空のキャビンアテンダント役で出演し、銀幕デビューを飾った。

ロジャー・ムーアとのつながり

共にユニセフの親善大使を務めたロジャー・ムーアとオードリー
共にユニセフの親善大使を務めたロジャー・ムーアとオードリー[c]Everett Collection/AFLO

若手時代、ファッション写真のアルバイトをしていたオードリー。当時多くの役者の卵が同様のアルバイトをしており、そのうちの一人がロジャー・ムーアだったとか。のちにムーアはオードリーの勧めにより、ユニセフ親善大使として活動に精を出すことになる。

ヘプバーン姓の変更を拒否

『ローマの休日』のウィリアム・ワイラー監督とは生涯、良好な関係を築いていた
『ローマの休日』のウィリアム・ワイラー監督とは生涯、良好な関係を築いていた[c]Everett Collection/AFLO

『ローマの休日』(53)で女優として本格活動を始めるにあたり、パラマウントから当時の大女優キャサリン・ヘプバーンとの混同を避けるため、ヘプバーン姓の変更を打診されるも丁重にこれを断った。

グレゴリー・ペックが同等の扱いを要求

『ローマの休日』のスクリーンテストでオードリーの姿を見た主演のグレゴリー・ペックは、彼女が新人であるにもかかわらず自分と同等の扱いにすることを映画会社に要求。これにより、共に主演としてクレジットされることになった。

真実の口のシーンは本物のリアクション

オードリーの素の表情を引き出したグレゴリー・ペックの『ローマの休日』でのアドリブ
オードリーの素の表情を引き出したグレゴリー・ペックの『ローマの休日』でのアドリブ[c]Everett Collection/AFLO

『ローマの休日』の有名な真実の口のシーンで、ペック演じる新聞記者が手を噛みちぎられたように見せる演技はアドリブ。ヘプバーンは驚きのあまり素のリアクションを見せており、完璧主義で多くのテイクを重ねるウィリアム・ワイラー監督も1テイクでOKを出した。

泣きの演技に大苦戦…

『ローマの休日』で泣く演技だけがどうしてもできなかったオードリーは、長引く撮影にしびれを切らしたワイラー監督から「泣くこともできないのか」と厳しくされ、思わず涙。するとそのまま撮影を行い、監督から「どうしても君を泣かせないといけなかったんだ」と謝られたそうだ。

ジョン・F・ケネディもファンを公言

上院議員時代のケネディは好きな映画を『ローマの休日』、好きな女優をオードリーと公言。大統領になった後もオードリーに映画を褒め称える電話をし、オードリーもお返しに、彼の誕生日パーティで歌を披露した。

オスカーとトニー賞を同じ年に受賞

アカデミー賞の重要性をあまり理解していなかったとも言われている
アカデミー賞の重要性をあまり理解していなかったとも言われている[c]Everett Collection/AFLO

ジャン・ジロドゥー原作の舞台「オンディーヌ」で評価を高め、トニー賞を受賞した
ジャン・ジロドゥー原作の舞台「オンディーヌ」で評価を高め、トニー賞を受賞した[c]Everett Collection/AFLO

1954年、無名だったにもかかわらず『ローマの休日』でアカデミー賞主演女優賞に、さらに舞台「オンディーヌ」でトニー賞最優秀演劇女優賞に輝いたオードリー。それまで同年のW受賞はシャーリー・ブースのみで史上2人目の快挙となった。

尊敬し合っていたジバンシィとの関係

ジバンシィが手掛けた『麗しのサブリナ』でのファッションは、大きなブームとなった
ジバンシィが手掛けた『麗しのサブリナ』でのファッションは、大きなブームとなった[c]Everett Collection/AFLO

『麗しのサブリナ』(54)をきっかけに、その後、オードリーの出演作で衣装を担当することになるジバンシィと出会い、良好な友人を築いた2人。のちにジバンシィがオードリーのための香水を作った際も、ジバンシィへの敬意を表すために、自腹で購入していたのだとか。

40年間変わらなかったスレンダースタイル

スレンダーなスタイルが特徴的なオードリーだが、なんとジバンシィ曰く、40年間1センチ以上サイズが変わることはなく、彼女用のマネキンも同じものを使い続けたという。そんな彼女だが自分の容姿については「鼻が大きすぎるし、足が大きいし、やせすぎて胸がない」とコンプレックスを抱えていたそうだ。

馬が気絶する過酷な撮影も耐えるタフさ

レフ・トルストイの小説を大規模な撮影で映画化した『戦争と平和』
レフ・トルストイの小説を大規模な撮影で映画化した『戦争と平和』[c]Everett Collection/AFLO

『戦争と平和』(56)の撮影中には、猛暑のなかの撮影で乗っていた馬が気絶し、オードリーが下敷きになってしまうアクシデントがあったそう。しかも彼女はベルベットの毛皮を着ていたが、気絶せずにそのタフさを見せつけた。

徹底した役作りで内面から尼になりきる

『尼僧物語』は、しだいに教会の在り方で対立を深めていく尼僧の姿を描く
『尼僧物語』は、しだいに教会の在り方で対立を深めていく尼僧の姿を描く[c]Everett Collection/AFLO

高い評価を集めた『尼僧物語』(59)では、実在のマリー=ルイーズ・アベ(シスター・ルーク)を演じるにあたり、自分の姿を鏡に写して見ないなど、内面から役作りを行ったオードリー。酷暑厳しいコンゴでの撮影の際には、自分の飲料水がなくなるのも意に介さず、原住民に水を配ったという逸話も残っている。

通りの名前になったことも

『尼僧物語』のプレミアで、子ども時代を過ごしたオランダを訪れた際には、通りの一つが「オードリー・ヘプバーン大通り」と改称され、除幕式を行った。

役作りのために子鹿を飼育

『緑の館』の子鹿に“イプ”と名付けどこへでも連れて行ったオードリー
『緑の館』の子鹿に“イプ”と名付けどこへでも連れて行ったオードリー[c]Everett Collection/AFLO

ジャングルを舞台にした『緑の館』(59)では、オードリー演じる主人公リーマについて回る子鹿と関係を築くため、生まれたばかりの子鹿を引き取ると“イプ”と名付け2か月半ほど一緒に生活を送り、愛情かけて育てたのだとか。スーパーや美容院などどこに行くにも一緒だった。

パナビジョンの成功に一役買った

夫のメル・ファーラーが監督した『緑の館』
夫のメル・ファーラーが監督した『緑の館』[c]Everett Collection/AFLO

『緑の館』はパナビジョン撮影された最初の2本の映画であるが、これはシネマスコープ撮影だと自身の骨張った顔が目立つのを嫌がったから。開発者のロバート・ゴットシャルクは、パナビジョンの成功をオードリーの顔のおかげと語るようになったそうだ。

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