【連載】「MINAMOの話をきいてミナモ?」 第4回 美とコンプレックス
いま人気急上昇中のAV女優、MINAMOが愛する映画や本、音楽、さらには自身の様々なことを語る連載「MINAMOの話をきいてミナモ?」。第4回は自身の思いや経験を振り返りながら、美とコンプレックスについて語っていただきました。
人はどうしてコンプレックスを抱いてしまうのだろう
私がデビューして間もない頃、インスタグラムのダイレクトメッセージで「自分はコンプレックスまみれでつらい」というメッセージがきた。短文ではあるがその大きなつらさを感じ、ずっと忘れられないでいる。ということで今回のテーマは「美とコンプレックス」。コンプレックスと言っても、今回は容姿コンプレックスの話である。
ここ何年かで、世界はグッと変わったように思う。様々なムーブメントが起き、ジェンダーフリーにジェンダーレス、ルッキズムやボディポジティブなど、今まで聞いたことがないような言葉をSNSで毎日目にするようになった。TVでタレントの容姿を批判し、笑いに変えるというあのくだらない流れも今では冷めた目で見る人も増えた。くだらないというのは完全に私の意見である。昔から人の外見をネタにゲラゲラ笑っている大人が私は怖かった。街を歩く女性に点数をつけるという頭の弱いYouTuberが炎上し、「ミスコン」の水着審査がなくなりつつある。ヴィクトリアズ・シークレットの「エンジェル」が廃止されたことには驚いた。まだまだあるが、これらはここ数年にあった出来事であり、価値観は変わってきている。この流れが良いのか悪いのか、それは人それぞれの意見があると思う。
昔から疑問に思うことがあった。それは「人はどうしてコンプレックスを抱いてしまうのだろう」ということである。抱く、というよりも生まれるもの。もっと言えば、コンプレックスは造られるものではないだろうか。
小さな頃から存在する「あだ名」という化け物やパートナーが悪気なく発する呪いの言葉、SNSで意図せず目に入ってくる他人の「容姿の願望」や「誰かがつくる流行」。激しく変化し続ける周りの環境。コンプレックスはそんなモノたちが自分の身体を通過する時に生まれるモノではないかと思う。そして不幸なことにコンプレックスはその人の中に長い間寄生し、なかなか付いて離れない。
1950年代のセックスシンボルであったマリリン・モンローは「自分のサイズが0じゃないから醜いと思っている女の子へ。あなたはそのままで十分美しいわ。醜いのは社会なの」と言った。人の容姿について、他人があれこれ余計な口出しをする姿こそ不細工である。
京都府出身。2021年6月にSOFT ON DEMANDよりAV女優としてデビュー。趣味は映画&レコード鑑賞、読書。
YouTubeにて「MINAMOジャンクション」を配信中。
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