好きにならずにいられない。『エルヴィス』で蘇る“キング・オブ・ロックンロール”、その伝説の数々
“キング・オブ・ロックンロール“ーその称号が示すとおり、長い年月を経ても音楽界でキングの地位に君臨し続けるのが、エルヴィス・プレスリーだ。1977年、42歳という若さで逝ったこのカリスマは、後に続く多くのミュージシャンに影響を与えた。これまで売り上げたレコードの枚数は推定30億枚と言われ、ソロアーティストとしては史上最高のセールスを記録。長年暮らしていたメンフィスの自宅、グレイスランドは「世界で最も訪問者数が多い私邸(または墓)」としてギネスに登録されている。
なぜエルヴィスは永遠にキングとして崇められているのか?それは現在の社会でも問題となっている「分断」を、音楽をもって軽々と乗り越えていたからだ。エルヴィスがデビューした1950年代、黒人音楽はR&B(リズム&ブルース)というジャンルで人気を集めつつ、白人文化とは明らかなボーダーが存在していた。エルヴィスは白人でありながら、ミシシッピ州生まれ、テネシー州育ちという南部のバックグラウンドで少年期に黒人音楽に覚醒。その様式を全面的に取り入れ、独自のボーカル、ステージパフォーマンスで人々を心酔させた。
映画『エルヴィス』では、ラジオから流れるエルヴィスの歌声を聴いたある人物が「これは白人なのか?」と驚くシーンがある。それほどまで当時はカルチャーも人種による領域が確固となっていた。その壁を壊したのが、類まれな歌唱力のエルヴィスで、音楽界に革命を起こし、ロックンロールの礎を築いたアーティストなのである。
音楽自体はもちろんのこと、その見せ方もあまりに革新的だった。デビュー当時、「Elvis the Pelvis(骨盤のエルヴィス)」と表現されたそのステージ上のパフォーマンスは、腰を小刻みに揺らし、くねらせながら挑発するスタイルで、観客たちは本能的に熱狂。しかしその表現は当時、不道徳と烙印を押され、エルヴィスは風紀を乱す危険なミュージシャンという評価を受けてしまう。
1956年、故郷メンフィスのラスウッド・パーク(野球場)でのライヴでは、周囲から封印するように注意されたその過激なパフォーマンスを、あえてエルヴィスは禁を破って披露。詰め掛けたファンが興奮のるつぼと化した経緯は、やはり映画『エルヴィス』で劇的に描かれている。