日本公開から20年…名優ヴィゴ・モーテンセンがいまこそ「ロード・オブ・ザ・リング」を語る「ドラマシリーズももちろん観ますよ」
「『やらなきゃダメだよ!』息子のひとことが、私の心を変えてくれたんです」
そして、2005年の『ヒストリー・オブ・バイオレンス』は、同じスタジオ(ニュー・ライン・シネマ)によって制作された「ロード・オブ・ザ・リング」三部作が成功したからこそ成立したプロジェクトだったと明かした。
「『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』が公開された1年後に、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』が完成しました。もしも『ロード・オブ・ザ・リング』の3部作が成功を納めていなかったら、私がこの映画にキャスティングされることはなかったでしょう。だから、ピーター・ジャクソン監督が私をキャスティングしてくれたおかげです。よく、このような有名な作品に出演したことは重荷になるかと聞かれます。重荷でしょうか?まったくそんなことは感じていません。その後、アラゴルンのような役をタイプキャストされているとも思いません。3部作はとてもすばらしい経験でしたし、それ以外の挑戦もたくさんやっています。新しい役柄への挑戦も、有名な役から距離を置くためではありません。ただ、おもしろそうだと思った役が、たまたま自分の手に落ちてきたからチャンスを掴んだまでです」。
「自分が出演した映画をたまたまもう一度観たり、一部を目にしたりすると一緒に働いていた人たちのことを思い出します。『ロード・オブ・ザ・リング』も同じです。撮影で長いこと、あの美しいニュージーランドに滞在し、人々やスタッフととても親しくなりました。スタッフは何百人もいましたが、まるで小さなインディペンデント映画のように、非常に緊密な関係を築くことができました。ピーター・ジャクソンの原点はここにあります。彼はニュージーランドで、『乙女の祈り』などいくつものインディペンデント映画を作ってきました。それらと同じ精神で作られた映画だからです。すばらしい友人たちに恵まれ、さらにはたくさんの機会を得ることができたのです」。
およそ14か月にわたり、ニュージーランドで撮影された「ロード・オブ・ザ・リング」の思い出は尽きない。撮影が始まる直前にキャスティングが決まり、息子の勧めで作品に飛び込んだという。
「最初に話をもらった時に断ったのは、参加する多くの役者たちがすでにリハーサルを始めていて、高所での演技や剣の扱い方、乗馬などの訓練を受けていたから。私はそれらのどれも経験がなかったのと、ちょうどアメリカ横断旅行から帰ってきたばかりでした。電話で、『明後日からニュージーランドに行ってほしい』と言われ、『原作もまだ読んでいないし、共演者の足を引っ張って映画に損害を与えたくないので、ほかの役者をあたってほしい』と答えました。電話を切ったら、当時11歳の息子が、その本を知っていると興奮して言いました。『ストライダーとかなんとか言ってた』と言うと、『それは王様だよ。途中で王になるんだ』そして、『やらなきゃダメだよ!スカンジナビアとアイルランドの神話が元になっているんだ。父さんならできるよ!』と焦ったように言いました。息子のひとことが、私の心を変えてくれたんです。大きな挑戦になるし、やらなかったら後悔するかもしれないという想いはありましたが、この作品が成功するとはまったく思っていませんでした。私の印象では、トールキンの人気は60年代のアメリカやカナダで、ヒッピーのサブカルチャーとして広まったものでした」。
そして、冒頭で語っているように、2001年のカンヌ国際映画祭期間中に20分のフッテージを上映した際も、プロデューサーは確信を持てずにいたという。「彼は、『アジアが心配です。特に、日本での興行成績が気がかりです。原作が読まれていないので』と言いました。私が、『物語が有名でなくても、小さなエピソードにはサムライを思わせるようなものもある。そこそこは気に入ってくれるのでは?きっと、オーランド・ブルームの周りを日本人の女の子たちが囲むようになるよ』と答えたのを覚えています」。
そして、間もなく配信開始になるドラマシリーズ「ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪」に対する期待には、こう答えている。「これは前日譚?それともスピンオフ?誰も内容を知らないの?(笑)それに10億ドルかけるなんて、まさにハリウッドという感じですね。独立した物語になるのかな。ピーター・ジャクソンは、映画3部作でのアラルゴンとアルウェンの物語もそうやって描いたからね。もちろん、観ますよ!」
取材・文/平井伊都子