“恐怖”に取り憑かれた僕が、仕事を辞めたわけ。Jホラーの巨匠から学んだ“映画の魔”
正統派なJホラーを継承した作風の『その音がきこえたら』(21)で、「第1回日本ホラー映画大賞」MOVIE WALKER PRESS賞を受賞した近藤亮太監督。本作で全身全霊の“恐怖”を表現した近藤監督は、もっと怖い、よりおぞましい映画を作ることに苦心していたという。そこで、新しい“恐怖”のヒントを得るために、映画美学校時代の師匠である“Jホラーの巨匠”高橋洋監督とホラー映画談義を敢行。その恐怖表現の“根源”について語ってもらった。
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僕が物心ついた時には「ほんとにあった怖い話」や「学校の怪談」がテレビで放送されていて、当然『リング』(98)も観ていた。清水崇監督の『呪怨』(00)を観て、映画美学校という学校出身だと知り、自分もいつか入ってやろうと考えるようになった。
ホラー映画を作りたい、と考えるようになった時には、高橋洋監督は既にJホラーマスターとしてそこに存在していた。だから、映画美学校に入るなら、高橋監督が講師をするタイミングしかないと決め、仕事を辞めて上京した。高橋監督から映画作りを教わるようになってからも、ホラー映画が好きで作り続けて、ようやく昨年、第1回日本ホラー映画大賞でMOVIE WALKER PRESS賞をもらって、少しだけ成果を実感することができた。
受賞作となった『その音がきこえたら』の発想の元には、高橋監督の前作『霊的ボリシェヴィキ』(18)に受講生時代、授業の一環で助監督として参加した経験があった。高橋監督は『女優霊』(96)や『リング』から一貫して、本当に怖い表現を探究し続けており、その姿勢に、僕は多大な影響を受けている。
そして、高橋監督の最新作『ザ・ミソジニー』(公開中)を観て、やはり恐怖表現がひとつ更新されたように感じて震え上がった。幽霊屋敷のような不気味な洋館、かつて実際に放送されたという奇妙なニュース映像、その映像に着想を得た恐ろしい演劇…。画面に張り付くようなおぞましさが、次から次へと目に入るすべてから伝わってくる。
高橋監督に改めて訊いてみたいと思った。こんな恐ろしい映画、いったいどうやったら作れるのか?
「高橋監督が『ここは世界一ホラー映画に厳しい学校』と話していて、中途半端な覚悟では無理だと感じた」(近藤)
近藤亮太監督(以下、近藤)「よく覚えているのは、映画美学校に入学して最初のオリエンテーションの時、同期の子が自己紹介で『僕は美学校にホラー撮りにきました』って言っていて、それに対して高橋さんが『ここは世界一ホラー映画に厳しい学校だからね』って返していて。これはすごいところにきたなと」
高橋洋監督(以下、高橋)「そのころは小中千昭さんもいたしね」
近藤「怖すぎて、しばらくはホラー好きだってことは黙っておこうと思って。中途半端な覚悟では無理だと感じて、1年くらいいろいろ試していくなかで覚悟を決めて、高橋さんのクラスで、僕は『インシディアス』みたいなストレートな心霊映画の現代版をやりたいですって伝えたんですよね。それで、死んだ娘を降霊したら娘以外のなにかが降りてきてしまった、っていう家族の話の映画を制作しました。家の中に現れる王道の幽霊描写の撮影に挑戦したのですが、高橋さんから見て、その当時の僕は、どういう印象だったのでしょうか?」
高橋「技術はもう持っていて、やるべきことも明確に見据えていて。ホラー映画という、ある程度ジャンル的に表現が確立されているものを、さらに上へと更新していこうと、すごい壁にぶつかって、そこでもがき、苦しんでる人っていう印象でしたね」